16世紀から革命まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 04:49 UTC 版)
ポワチエのまちはルネサンス時代に眠りに落ちた。実際には、古い砦の浅瀬に橋が架けられたりするなど、わずかに変化は見られた。 ジョアシャン・デュ・ベレー、ピエール・ド・ロンサールといった詩人たちは、パリへ向かう前にポワチエ大学で学んでいた。 ポワチエは行政機能の繁栄に向かっていった。王立裁判所、司教座、修道院、そしてポワトゥー統監の管理である。1750年から1784年にかけ、ブロサック子爵ポール・ド・ラ・ブルドネイエはフランス式庭園を作り上げた(現在はポワチエ公園となっている)。また、アリエノーヌ・ダキテーヌが作らせた城壁が壊され、壁のあった場所には大通りがつくられた。 アンシャン・レジーム時代には、非常に階級間対立があったにも関わらず、しばしば王が税を賦課すると、共通の敵に対して一時的な連帯が生まれた時期もあった。1676年には、高度に組織化された職業である肉屋が間接税に反対して反乱を起こした。彼らは都市の首長の支持を得ていた。
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