16世紀から幕末まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:14 UTC 版)
16世紀の日本とスペインの間には、国家間関係が本格化する以前から人の往来が見られた。16世紀半ばにゴア、マラッカ、マカオ等にポルトガルが拠点を築き、同国の保護下にイエズス会のアジア布教が本格化する中で、同時期に東・東南アジアの各地を行き来していた日本人と、イエズス会の布教活動に参加していたスペイン人宣教師が接触する機会が生じたのである。この時期、日本国外でスペイン人と出会った日本人のうち最も重要な人物は、自身もキリスト教の洗礼を受け、1549年のザビエル(ナバラ王国出身)一行の来日を手引きしたヤジロウである。 ザビエルの日本来航に随行したイエズス会士は、コスメ・デ・トーレス神父がバレンシア、フアン・フェルナンデス修道士はコルドバの出身であり、日本へのキリスト教伝来という出来事はまた、スペイン人の日本への来航を記す出来事でもあった。ザビエルは1551年に日本を離れるが、フェルナンデスは1567年に平戸で、トーレスは1570年に天草の志岐(現・熊本県苓北町)で没している。 ザビエルの離日に同行した、薩摩出身の洗礼名ベルナルドという青年は、ポルトガルからローマに向かう途中スペインに各地に立ち寄っている(彼はポルトガルに戻ったのち、1557年ごろコインブラで死去した)。また、ポルトガル・イエズス会と密接な関係にある天正遣欧使節の一行は、その後スペインから独立したポルトガルから陸路スペインに入って各地を訪問、1584年11月にはマドリードでフェリペ2世に謁見している。
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