日本来航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 07:58 UTC 版)
「ジョン・ケンドリック」の記事における「日本来航」の解説
ケンドリックらがヌートカに到着したとき、すでに英国船一隻と米国船一隻がそこを訪れていた。米国船はイフィジェニア・ヌビアナ(Iphigenia Nubiana)で船長はウィリアム・ダグラス(William Douglas)であった。ダグラスは、その後ハワイ諸島との交易も行っていた。また英国船はフェリス・アドベンチュアラー(Felice Adventurer)で、ジョン・ミアーズ(John Meares)が船長を務めていた。ミアーズは中国との交易を行っていた。 ケンドリックも太平洋を横断し、ハワイ、さらに中国に足を伸ばし、1790年1月にマカオに到着した。1791年3月、ケンドリックは日本では(違法と知りつつ)さらに高く皮が売れるのではないかと考え、マカオにいたダグラス(船はグレイス(Grace)に変わっていた)と共に日本に向けてマカオを出港した。5月6日紀伊大島に到着した。トラブルを避けるため、ケンドリックは嵐を避けて避難してきたと説明した。おそらく、彼らが日本に上陸した最初のアメリカ人である。翌日、本当に台風に遭遇し北西に流されてしまった。結局日本との交易は成功せず、5月17日に日本を離れた。交易が失敗した原因は鎖国のためと言うよりも、むしろ日本人が皮に興味を示さなかったためであろう。二人は小笠原諸島で別れ、ケンドリックはヌートカ湾に戻った。 なお、この来航を記念して和歌山県東牟婁郡串本町の紀伊大島、樫野埼に日米修交記念館が建設されている。またJR串本駅前にはレディ・ワシントン号のブロンズ像が置かれている。2016年にはグレイス号乗組員のサミュエル・デラノの航海日誌が確認されている。
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