日本本社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 15:00 UTC 版)
「マニュライフ生命保険」の記事における「日本本社」の解説
マニュライフは、1901年(明治34年)に日本での生命保険事業の免許を取得して営業を始めたが、第二次世界大戦により事業を中断した。 1999年(平成11年)、マニュライフ・センチュリー生命保険株式会社として改めて会社設立、日本に再上陸した。バブル崩壊後、東京川崎財閥の流れを汲む中堅生命保険会社であった第百生命保険相互会社が経営不振に陥ったため、カナダのマニュライフ・フィナンシャルコーポレーションとの約50%合弁により資本金109億円で設立された。マニュライフ・センチュリー生命は、第百生命のスポンサー(受け皿金融機関)となり、生命保険契約者保護機構から1,450億円の資金供与を受け、同年3月30日に第百生命より800億円で営業権を譲受。第百生命は既存契約のみ管理する管理会社となった。 翌2000年(平成12年)5月、第百生命が自主再建を断念し経営破綻、金融監督庁(現:金融庁)長官より業務一部停止命令を受けた。 翌2001年(平成13年)には第百生命が生命保険契約者保護機構から1450億円の資本供与を受け、保険契約をマニュライフ・センチュリー生命に包括移転することで合意。同年4月2日に移転を実施した。同年に保険契約の包括移転が完了し、同年9月1日、マニュライフ生命保険株式会社に社名変更した。第百生命保険は2007年(平成19年)に清算結了した。 2010年(平成22年)から2012年(平成24年)まで、パシフィック・リーグのリーグスポンサー・クライマックスシリーズ「マニュライフ・クライマックス・パ」特別協賛スポンサーとして就任していた。 2015年(平成27年)から金融知力普及協会が主催する「全国高校生金融経済クイズ選手権 エコノミクス甲子園」にメインスポンサーとして協賛し、「マニュライフ生命カップ」の名称で、次世代を担う高校生の金融リテラシー教育推進を目的にイベントを支援している。 2017年(平成29年)からプロランナーの大迫傑とスポンサーシップ契約を締結。 日本法人の本社所在地は1999年(平成11年)の設立以来、京王線国領駅南側の東京都調布市国領町4丁目34-1にあった第百生命保険本社ビルを引き継いで使用していたが、2015年3月に京王新線初台駅を最寄りとする東京オペラシティタワー30階へ本社を移転。同年4月1日から、最寄り駅の初台駅に京王電鉄が副駅名を導入し「初台駅 マニュライフ生命本社前」の駅名標が設置された。第百生命から引き継いだ旧本社ビルは解体され、跡地には伊藤忠都市開発と三菱地所レジデンスによって分譲マンション「クレヴィア調布国領レジデンス」が建設された。
※この「日本本社」の解説は、「マニュライフ生命保険」の解説の一部です。
「日本本社」を含む「マニュライフ生命保険」の記事については、「マニュライフ生命保険」の概要を参照ください。
- 日本本社のページへのリンク