16世紀から20世紀中頃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 18:33 UTC 版)
「サハラ交易」の記事における「16世紀から20世紀中頃」の解説
この時代以降、サハラ交易は減少していった。理由としては次の点があげられる。 交易ルートの変更:西アフリカ沿岸をポルトガル人が往来するようになり、ヨーロッパと西アフリカの間に新たな交易路が開かれた。16世紀初頭までに、ヨーロッパ人の拠点が沿岸に設けられ、西アフリカにとって富裕なヨーロッパ人は重要になっていた。 交易品の減少:西スーダンの金資源が枯渇したことも交易の減少につながった。タカラガイはベニン王国やコンゴ王国でも貨幣として使われ利益を上げていたが、ポルトガルをはじめとしてヨーロッパ諸国が大西洋から海路で大量に運ぶようになると価値が下落し、サハラ交易での扱いは減っていった。 環境の変化:16世紀まではサハラ砂漠やニジェール川、チャド湖に国家があったが、17世紀以降に西アフリカの乾燥化が進み、南部への移住が進んだ。 治安の悪化:モロッコを支配するサアド朝は、テガーザの塩鉱の支配権をめぐってソンガイと対立してトンディビの戦い(英語版)(1591年-1592年)が起きた。サアド朝はサハラ砂漠を越えて軍隊を送り込み、トンブクトゥやガオなどの重要な交易中心部を攻撃した。ソンガイ王国は滅び、建物が破壊され財産は略奪された。この破壊行為が都市を衰退させ、その結果生じた敵意が交易を大きく減少させた。
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