進化と旺盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 01:10 UTC 版)
福美人正面。写真に見えている建物・門柱・煙突のほぼ全て国の登録有形文化財。 福美人の福神井戸。現在一般公開はされていない。 福美人。他の蔵元は酒蔵通りに面した地で創業しているのに対し、福美人はその一つ北側の線路に近い地に一号蔵がある。 昭和4年(1929年)竣工の本館。現在はカフェ「酒泉館」。 昭和初期竣工の精米所。現在は藍染工房&ギャラリー「藍泉館」。 旧県立醸造試験場西条清酒醸造場。現在は賀茂泉が所管。国の登録有形文化財。 県内でもローカルな存在に過ぎなかった西条が明治30年代から大正時代にかけて異常とも言える成長を遂げ日本有数の酒処となった要因は、気候風土・酒造技術の確立・西条の人たちの努力に加えて他力的に成長に導かれたところもある。 明治初期、県外への運搬は馬背や荷車で運搬し沿岸部から海運を用いていた。そこへ1894年(明治27年)山陽鉄道が開業し鉄道による大量運搬が可能になり、販路の拡大に繋がった。この時代、全国の酒造産地は一大消費地となった東京を目指しており大正時代初期から西条の蔵元も続き、また遠く中国・朝鮮・台湾・アメリカと海外にも輸出した。ここから西条では山陽道(酒蔵通り)沿いから北側の線路に近い地に近代的な酒蔵を建てていき、大正時代には需要に対して供給不足の状況にもなり、生産工程の機械化も進み、西条駅から引込線を敷き大量運搬した。 呉が旧海軍呉鎮守府・広島が旧陸軍第5師団の拠点となり、1894年(明治27年)日清戦争1904年(明治37年)日露戦争を経て需要が格段に上がっていった。需要が増えた背景には両市が街として急速に発展したことに加えて、旧海軍においては呉以外の横須賀・佐世保・舞鶴の主要鎮守府そばに質と量を満足させる酒処がなかったこと、広島には日清戦争で広島大本営が置かれ旧陸軍の最前線兵站拠点となり以降の戦争も国内有数の兵站拠点となったこと、などがある。 三浦の軟水醸造法から始まった広島の酒質向上は、1907年(明治40年)日本醸造協会主催の第1回全国清酒品評会で飛び抜けた成績を収めることに繋がった。全国の酒造家にとっては灘のブランドイメージが強い中でのこの成績は意外なことであった。この品評会や1911年(明治44年)から始まった酒類総合研究所主催全国新酒鑑評会で好成績を収めることでブランドとして確立し需要へと繋がっていった。 灘酒が辛口であったのに対し、三浦の軟水醸造法から生み出された酒は甘口であった。つまり消費者にとっては広島の酒は新しい味であり、嗜好の変化により甘口の需要が年々高まると流通量も増えていった。 更に西条の蔵元が画期的だったのが、大正バブル期の需要が著しく増加していた時期に全国に先駆けて経営改革、旧来の家業の延長であったものを株式会社化したことである。このときに創業した西条酒造(福美人酒造)は西条のみならず西日本各地の蔵元による出資で設立された蔵であり、酒造業としては国内初の法人として起業した酒造メーカーになる。これにも木村静彦が関わっており、西条酒造・南方酒造(現在廃業)の設立にあたり静彦は出資者の一人として参加し、自身の蔵である賀茂鶴も事業拡大を目指して株式会社化したことで、結果西条において同時期に酒蔵通りの北側にあたる線路沿いに3社誕生した。これ以降その他の蔵元も会社を設立している。 軽工業・重工業共に発展途上にあった近代の広島県において、酒造業は基幹産業として県経済を支えた。当時造石高は兵庫・福岡・京都とで4強を占め、県外で出回っていた広島の酒は賀茂郡・呉市・三原市でほぼ作られ、その生産の中心が西条であった。灘・伏見とともに西条が「日本三大銘醸地」と言われるようになるのはこれら明治末期以降のことになる。 昭和初期、活況する西条の中で働いたことは箔をつけることになるとして、優秀な杜氏は集まり蔵人が熱心に働いた。外部から視察に多く訪れ見学者が増えると酒造家は自然に力が入り吟醸に熱中した。西条酒造(福美人)はその設立経緯に加えて新酒鑑評会で結果を残したことにより酒造業界から酒造技術養成機関として指定され、“西条酒造学校”と呼ばれ多くの杜氏を育てた。 またこの時代の西条の特筆すべきこととしては、1930年(昭和5年)佐竹製作所(サタケ)が米をギリギリまで磨くことができる竪型精米機を発明したことが挙げられる。これが今日一般的に用いられている酒造用精米機であり、さらにこの精米機の登場によって吟醸酒の製造が加速した。現在の東広島市域において、安芸津(三津)で吟醸酒の基礎となった軟水醸造法が生まれたこと、西条で竪型精米機が生まれたこと、それらを持って吟醸造りを育ててきたことから、今日では「吟醸酒のふるさと」と称している。 西条を訪れた河東碧梧桐が1932年(昭和7年)『サンデー毎日』紙面上で「酒の新都」と紹介したことから、「酒都」を称するようになる。
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