近代哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 09:50 UTC 版)
ライプニッツは、各モナドの観点から見た異なった世界は、じつは唯一の現実世界の反映に他ならないとしている。これに対しヴォルテールは、現実世界は可能世界のうちの最善の世界であるとする楽天主義を唱えるパングロス博士を創作して(カンディード)、ライプニッツを揶揄している。 ドイツ観念論においては、唯名論を継承したイギリス経験論に対して、イマヌエル・カントは、さまざまな認識によって異なったように構成されうる現象の背後に要請される物自体という概念を考えた。また判断表においては様相判断としての実然性(現実性)を蓋然性(可能性)と区別した上、様相判断は対象の概念にはなにものも加えず、現実的な100ターレルと可能的な100ターレルとは概念内容は同一ではあるが、ただし我々に対しては異なった意味を有するとした(純粋理性批判)。 このようなカントの議論に対して、ヘーゲルは、カントが可能性・現実性・必然性を様態としたことを批判した上、偶然性にすぎない可能性とは対置されるところの、現実性としてのイデアを示すものとして、アリストテレスの現実態 energeiaの思想を評価している。また「現実的なものは理性的であり理性的なものは現実的である」という言葉を残しており、理念は抽象にすぎないsollenにとどまって現実的でないほど無力なものではないとして、理念と現実とを切り離す思想を退けた。この立場においては偶然的でしかない存在(現象)は、現存在existenzをもってはいるが、現実Wirklichkeitの名には価しないものとされる(小論理学)。 これに対し、後期シェリングの「実存哲学existenzial philosophie」を批判的に継承したキルケゴールでは、むしろ「現実的なものは個別的であり個別的なものは現実的である」と捉えられ、本質存在に対する現実存在(実存 existenz)の優位が説かれる。
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近代哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:51 UTC 版)
「人間は表象によってしか物事を把握できない」と考えるデカルトを始めとする近代哲学の登場によって、表象の地位も向上した。
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近代哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 08:30 UTC 版)
スピノザは、それ自身のうちにあり、それ自身によって考えられる自己同一的な実体は神のみであるとした。また神の本質の永遠の必然性に由来するものとして、現実的な個体が自己自身を固執する力としてのコナトゥスを認めた。 ライプニッツは、識別できない2つの個体はないとする不可識別者同一の原理を立てた。この原理は、Xのもつ全ての性質をYがもち同時にYがもつ全ての性質をXがもつとき、X=Yが成り立つことを示すものと解されている。 ドイツ観念論においては、カントは「純粋理性批判」に於いて、ヒュームの「人間本質論」に於ける人格の同一性の原理の否定を受けて、デカルトの「私は思惟する」という自覚の同一性は、確かに自我の表象に伴うものであるが、「物自体」として認知不可能な「超越論的自我(transzendentales Ich)」であり実在的同一性ではない(存在命題は導かれない)とした(人格性の誤謬推理)。また「存在は述語」でないとして、本質存在から現実存在を導出するものとしての本体論的証明を退けた。そして彼は実在的同一性に基く合理的心理学を退け、経験的自我についてのみ他の現象する対象と同様の認識の可能性を認める「経験的心理学」を主張した。そしてこの経験的自我の背後にあってそれを可能たらしめる物自体に、主体に内在化されて定言命法に基く道徳的行為の原動力となる人格の根拠としての霊魂を認めたのである。しかし前者は精神医学や行動主義心理学に影響を与え、後者はロナルド・D・レインの「反精神医学(anti-psychiatry)」を経て英国の2003年の「性別移行者に関する政府政策」やジョグジャカルタ原則前文の、性同一性を深く感じられた内的経験(意識)に求める定義に影響を与えた。 ヘーゲルでは、「実体は主体である」と宣言され、自己矛盾がないという意味での同一性(ヘーゲルにあっては悟性的と形容される)とは区別されるところの、弁証法的発展における矛盾の止揚が説かれている。
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近代哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 08:17 UTC 版)
「実体」を巡る議論は、「物質」(physical substance, chemical substance)一般としての「実体」考察が、自然科学として発達し、哲学から自立・独立・分離していく一方で、(観念的・言語的な領野における)「本質」「本質存在」(essence)概念は、専ら個別具体的に存在している人間としての「実存」「現実存在」(existence)と、対置されるようになっていった。 これは特に、ヘーゲル思想に孕まれる「本質主義」(essentialism)に対して、「実存」「現実存在」(existence)としての個別具体的な人間の優位を掲げるキルケゴールやマルティン・ハイデッガー等の「実存主義」(existentialism)によって、顕著になる。 他方では、その「本質」「本質存在」(essence)認識の、社会性や言語や無意識などの「構造」(structure)(としての「関係性」(relations))による拘束を強調する議論も活性化していき、人類学、社会学、言語学、心理学にも渡る、構造主義・ポスト構造主義・ポストモダニズム(としての関係主義)の潮流を生み出した。
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