近代哲学のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)
「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「近代哲学のはじまり」の解説
「経験論」、「合理主義哲学」、および「モラリスト」も参照 実験・観察の重視は哲学の刷新をもたらした。イングランドのフランシス・ベーコンは世俗的な知識を重視し、『ノヴム・オルガヌム』において「知識は力なり」と唱えてスコラ哲学において特徴的な演繹法とあらゆる偏見や先入観(「4つのイドラ」)を排し、自然に対する真摯な観測を出発点とする帰納法を方法論とする経験論哲学を創始したが、これは科学革命の進展と軌を一にする思想上の大転換であった。イングランドのトマス・ホッブズやジョン・ロック、アイルランドのジョージ・バークリー、スコットランドのデイヴィッド・ヒューム、フランスのエティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックらは、経験論につらなる哲学者である。 フランスのルネ・デカルトは、すべてのものをいったん疑い、疑いの余地のあるものはすべて排除するという「方法的懐疑」を哲学の革新の出発点に置き、「我思う、ゆえに我あり」という命題にたどり着いた。この命題はスコラ哲学などの「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとするところから得られたもので、デカルトはこれを哲学の第一原理としたのであった。デカルトはアリストテレス的な目的論的自然観に対し、ニュートンによって切り開かれた力学的な自然観を代置し、すべての伝統と権威を否定したうえで人間理性のみを信頼すべきものとしたうえ、これを真理探究の究極的な手段であると唱えてヨーロッパ近代思想に多大な影響をおよぼした。オランダのバールーフ・デ・スピノザ、「モナド論」を唱えたドイツのゴットフリート・ライプニッツらは、デカルトにつらなる合理主義哲学(大陸合理論)の哲学者として知られる。 「神の存在証明」を試みたデカルトは宗教的には理神論の立場に立っていたが、これに対してはブレーズ・パスカルからの批判がある。数学・自然科学の分野でも大きな足跡を残したパスカルは『パンセ』で「デカルトを赦すことはできない。彼はその哲学体系のなかで、できれば神なしですませたいと考えたはずだ」と述べており、カトリックの立場に立つ神学者でもあるうえで宗教的にはジャンセニスムの立場に立っていた。フランスにおいてミシェル・ド・モンテーニュやパスカルの思想的立場は、「モラリスト」と総称される。 ミシェル・ド・モンテーニュ(1533年-1592年) フランシス・ベーコン(1561年-1626年) ルネ・デカルト(1596年-1650年) ブレーズ・パスカル(1623年-1662年) ゴットフリート・ライプニッツ(1646年-1716年) ジョージ・バークリー(1685年-1753年) デイヴィッド・ヒューム(1711年-1776年) エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック(1714年-1780年)
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