近代国家の成立と啓蒙思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:50 UTC 版)
「民主主義」の記事における「近代国家の成立と啓蒙思想」の解説
13世紀、イングランド王国でマグナ・カルタにより王権の制限が定められた。16世紀以降、ジャック=ベニーニュ・ボシュエやロバート・フィルマーが王権神授説を唱えて政治権力の教会権力からの独立を宣言し、ジャン・ボダンが「国家主権論」を唱え、1648年 ヴェストファーレン条約により中世とは異なる近代的な主権国家が成立した。 17世紀以降、啓蒙思想による自由主義が主張され、ヴォルテールは自由主義や人間の平等を主張した。17世紀、清教徒革命でリヴェラベーズ(平等派)が社会契約や普通選挙を要求した。また人民主権の理論として社会契約論が唱えられた。ホッブスの社会契約論は、権力の正統性を神ではなく被支配者である人民に求めたが、国民による統治は構想しなかった。次にジョン・ロックの社会契約論は、更に国民の抵抗権(革命権)を認め、アメリカ独立革命に影響を与えた。またジャン・ジャック・ルソーの社会契約論は、堕落した文明社会を変革する方法として人民が一般意思(公共我)を創出するとし、また代表制を批判し直接民主主義の理念を提示し、後のフランス革命に影響を与えた。モンテスキューはブルジョワジー、特に知識階級の自由を権力の専制からいかに保障するかを考え、権力分立の形態として三権分立を構想した。
※この「近代国家の成立と啓蒙思想」の解説は、「民主主義」の解説の一部です。
「近代国家の成立と啓蒙思想」を含む「民主主義」の記事については、「民主主義」の概要を参照ください。
- 近代国家の成立と啓蒙思想のページへのリンク