近代国家へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:02 UTC 版)
江戸幕府は様々な問題を抱えながらも、国内外は比較的平和の中にあったが、世界はヨーロッパを主体とする植民地獲得競争とも言える帝国主義の時代となっていた。19世紀になると日本近海にロシアやアメリカを始めとする列強が頻繁に来航するようになる。 新たな時代にどう対応するか、日本国内は様々な主張が噴出し、やがてその中から幕府を打ち倒す勢力(薩摩藩や長州藩)が主体となって、幕府との間に戊辰戦争が発生した。これら一連の出来事は明治維新と呼ばれ、戦争は倒幕派が勝利し、江戸幕府は滅亡した。 明治維新によって新時代を迎えると、西洋列強を手本にした政府や軍隊を整備したり、従来の東アジア諸国との国際関係を近代的なものに再編するなど、近代的な国家運営を進め、近代国家として大日本帝国を成立させた。日本は、強大な西洋諸国に対抗する形で各国に経済的・軍事的に進出していった。また対外的にも、琉球列島や千島列島といった日本列島の付属島嶼や小笠原諸島の領有を確立し、現在の日本の領土をほぼ確定させた。他に、国策として日本国外への移民を奨励して、ブラジルやアメリカ、ペルー、カナダ、ハワイ、メキシコ、アルゼンチン、パラグアイなどに多数の移民が渡った。[要出典] 明治・大正期以降、日本は日清・日露戦争や第一次世界大戦で世界の列強と争った。日清戦争での勝利、日露戦争での講和、第一次世界大戦における派兵、満州事変の結果、台湾を領有、大韓帝国を併合、南洋諸島を委任統治領とし、満州国を建国するなど、東アジア・ミクロネシア各地に急速に分布域を広げたために多民族国家となった。帝国主義から現地の住民との大小の衝突、時には反乱を起こされながらも、着実に支配を固め、社会基盤を築いていった。国際連盟の常任理事国にもなり、国際的地位も高まった。[要出典] この過程で、台湾や朝鮮から日本列島への他の民族の流入も起こった。さらに、第二次世界大戦においては大東亜共栄圏の構想を打ち出し、当時イギリスやオランダなどの列強が植民地化していた東南アジアに進軍し、欧米の占領軍を追い出して後釜に座る形でほぼ全域を影響下に置いた。この状況は、第二次世界大戦に敗北した事によって終わりを告げる。列島周辺の主権を失ったために、各地に移住していた日本人の大半は日本政府統治地域に再移住した(引揚者)。[要出典]
※この「近代国家へ」の解説は、「大和民族」の解説の一部です。
「近代国家へ」を含む「大和民族」の記事については、「大和民族」の概要を参照ください。
- 近代国家へのページへのリンク