近代地方制度の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 23:39 UTC 版)
「スコットランドの地方行政区画」の記事における「近代地方制度の変遷」の解説
1889年以前のスコットランドでは、中世以来の伝統を引き継ぐ勅許自治都市(バラ、burgh)、教区(パリッシュ、parish)を単位として地方行政が行われていた。 スコットランドの近代的地方制度は、1889年に制定されたスコットランド地方政府法によってはじまった。1890年に施行されたこの法により、カウンティ(郡)ごとに公選の議員(councillor)からなるカウンティ・カウンシルが設置された。カウンティ・カウンシルの長は"Convenor of the county"(カウンティ議長)といい、議員の互選で選ばれた。1894年には法の修正が行われ、シビル・パリッシュにパリッシュ・カウンシルが設けられた。 1930年には大規模な行政制度の改編が行われ、地方政府委員会やパリッシュ・カウンシルが廃止されるとともに、自治体の規模に応じたカウンティ(county)、都市カウンティ(counties of cities)、大都市 (Large burgh) 、小都市 (Small burgh) の制度が導入された。その後、1947年に区画再編が行われている。この時期の行政区画はen:List of local government areas in Scotland 1930 - 1975参照のこと。
※この「近代地方制度の変遷」の解説は、「スコットランドの地方行政区画」の解説の一部です。
「近代地方制度の変遷」を含む「スコットランドの地方行政区画」の記事については、「スコットランドの地方行政区画」の概要を参照ください。
- 近代地方制度の変遷のページへのリンク