近代史年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 23:51 UTC 版)
ウィキソースに波田町を廃し、松本市に編入する件の原文があります。 江戸時代中期以降 - 上波多では若沢寺が「信濃日光」と呼ばれるまで繁栄していた。 1871年 - 廃仏毀釈により、若沢寺などの建物が破却・移転され消失した。 1874年10月7日 - 筑摩県筑摩郡上波多村・下波多村・三溝村が合併し波多村となる。 1875年 - 波田堰の通水が進み28町1反1畝が開田された。その後、開田はさらに広がる。 1876年 - 長野県に移管される。 1879年1月4日 - 郡区町村編制法の施行により東筑摩郡の所属となる。 1889年4月1日 - 町村制施行。単独で波多村発足。 1911年 - 村の中心部を南北につなぐ郡道坂が、河岸段丘を切通しして開通する。 1933年2月16日 - 波田村に改称。 1973年4月1日 - 町制施行。 2004年6月24日 - 隣接する松本市との合併に関する住民投票を実施。結果は反対が多数となり自立の道を選択。しかし、その後合併推進派の町長が当選したため、合併への流れが再び動き出した。 2006年12月19日 - 改めて行われた松本市との合併を問う任意の住民意向調査で、合併賛成が63%と反対の25%を上回る。 2010年3月31日 - 松本市に編入し消滅。
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