近代博物学または、海洋生物学発祥の地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:27 UTC 版)
「江の島」の記事における「近代博物学または、海洋生物学発祥の地」の解説
安政5年(1858年)の日米修好通商条約から1899年(明治32年)の日英通商航海条約発効までの間、横浜の外国人居留地に住む人々は、行動範囲を居留地から10里以内に制限されていた。その制限範囲内にあり、風光明媚で宿泊施設が整っていた江の島には、明治初期以来多くの外国人が訪れるようになった。東京大学の初代動物学教授エドワード・S・モースは1877年(明治10年)7月から8月まで、シャミセンガイ研究のために江の島に日本最初の臨海実験所を開いた。アイルランド人貿易商サムエル・コッキングは、東山頂上部にあった与願寺の菜園を買い取り、別荘と庭園の造営を開始した。多くの熱帯植物を収集栽培し、本格的なボイラーを持つ大型温室やオオオニバスの栽培池を持つという画期的な熱帯植物園が完成したのは1885年(明治18年)のことであった。ただし、温室の完成は1888年(明治21年)以降と推察される。このように、文明開化の時代に江の島が近代博物学発祥地の一つとなった。1985年(昭和60年)4月14日、北緑地に「日本近代動物学発祥の地記念碑」が建てられ、2002年(平成14年)の江の島植物園リニューアル工事の際にコッキングの温室跡が再発見され、新しくオープンした公園は「江の島サムエル・コッキング苑」と名付けられた。
※この「近代博物学または、海洋生物学発祥の地」の解説は、「江の島」の解説の一部です。
「近代博物学または、海洋生物学発祥の地」を含む「江の島」の記事については、「江の島」の概要を参照ください。
- 近代博物学または、海洋生物学発祥の地のページへのリンク