方法的懐疑とは? わかりやすく解説

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ほうほうてき‐かいぎ〔ハウハフテキクワイギ〕【方法的懐疑】

読み方:ほうほうてきかいぎ

確固不動真理達するためにデカルト用いた方法偏見謬見(びゅうけん)、あるいは真実らしく見えるが不確実なものなどをすべて疑うに足るものとして排し、この徹底した懐疑通して「我思う、故に在り」という哲学第一原理到達した


方法的懐疑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 16:12 UTC 版)

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方法的懐疑(ほうほうてきかいぎ、: doute méthodique : methodical doubt)とは、ルネ・デカルトによって提唱された哲学用語。これはデカルトによる哲学の革新の出発点であり、確実なものに到達するまでの手段として行われる懐疑。この世に存在する偏見や謬見、あるいは真実らしく見えているものの不確実であるなど疑う余地が少しでもあるならば、疑う余地があるとして否定していくということである。これを徹底して行うということで、我思う、ゆえに我ありという哲学の第一原理に到達した。

関連項目


方法的懐疑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 03:47 UTC 版)

省察」の記事における「方法的懐疑」の解説

幼児の時から無批判受け入れてきた先入観排除し真理に至るために、一旦全てのものをデカルトは疑う。 この方法的懐疑特徴として、2点挙げられる1つ目は懐疑を抱く事に本人意識的仮定的である事、2つ目は一度でも惑い生じたものならば、すなわち少しでも疑わしければ、それを完全に排除する事である。つまり、方法的懐疑とは、積極懐疑の事である。 この強力な方法的懐疑は、もう何も確実であるといえるものはないと思えるところまで続けられる。まず、肉体与え感覚外部感覚)は、しばしば間違うので偽とされるまた、「痛い」「甘い」といった内部感覚や「自分目覚めている」といった自覚すら、覚醒睡眠判断する指標何もない事から偽とされる。さらに、正しいと思っている場合でも、後になって間違っていると気付事があるから、計算2+3=5のような)も排除される。そして、究極的に真理源泉である神が実は欺く神(Dieu trompeur)で、自分認め全てのものが悪い霊(genius malignus)の謀略にすぎないかもしれない、とされ、このようにあらゆるものが疑いかけられることになる。

※この「方法的懐疑」の解説は、「省察」の解説の一部です。
「方法的懐疑」を含む「省察」の記事については、「省察」の概要を参照ください。

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