記録等
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騎手として サンタラリ賞通算9勝(1967年、1971年、1976年、1978年、1979年、1982年、1985年、1986年、1991年)は歴代1位。 プール・デッセ・デ・プーリッシュ通算8勝(1975年、1976年、1978年、1979年、1985年、1987年、1995年、1997年)は歴代1位。 プール・デッセ・デ・プーラン通算6勝(1975年、1976年、1988年、1990年、1991年、1992年)は歴代1位。 ジャックルマロワ賞通算6勝(1967年、1972年、1981年、1987年、1988年、1991年)は歴代1位。 ロワイヤルオーク賞通算6勝(1968年、1971年、1974年、1980年、1984年、1989年)は歴代1位。 アスタルテ賞通算6勝(1967年、1970年、1982年、1985年、1989年、1992年)は歴代1位。ただし優勝時はG1ではない。 フォレ賞通算5勝(1966年、1968年、1972年、1983年、1990年)は歴代1位タイ。 凱旋門賞通算4勝(1966年、1972年、1976年、1979年)は歴代1位タイ。
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記録等
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2006年6月、阪神甲子園球場での阪神対日本ハム戦の試合前シートノックで、同年限りでの引退を表明していた日本ハムのSHINJOが阪神時代のユニフォームを着用して守備位置に就いた。スタンドの阪神ファンからは拍手喝采が送られたが、球団及び連盟から厳重注意を受けた。 2007年6月14日に札幌ドームで行われた日本ハム対横浜戦は延長12回を戦った末、両チーム合計25安打の乱打戦となり、6対6の引き分けに終わった。試合時間は5時間53分にも及び2019年現在でも交流戦史上最長記録である。この試合はナイターだったため、試合後にはシャトルバスや終電を逃す観客も現れた。 2008年6月14日に宮城球場で予定されていた楽天対巨人戦は、同日朝に発生した岩手・宮城内陸地震の影響により中止となった。なお、地震による中止はこの試合が日本プロ野球史上初めてであった。球場に被害がなかったが、交通機関の乱れや観客の安全などを考慮して最終的に中止とした。この試合は2日後の6月16日に振替えて開催された。 2009年6月10日に札幌市円山球場で行われた日本ハム対横浜戦は、交流戦では初めて平日のデーゲームで行われた。これは同球場にナイター設備がないことや日本ハムが本拠地・札幌ドームでの試合を極力週末に行うこと、さらに未就学児や主婦など普段ナイターを見ることのできない客層を狙ったものでもあった。 2010年はパ・リーグが優勝〜6位、セ・リーグが7位〜最下位の順となり上位6位までをパ・リーグが独占する結果となった。 2011年、日本ハムが5月26日のナゴヤドームでの対中日戦の6回裏から6月4日の明治神宮野球場での対ヤクルト戦の2回裏までを無失点に抑え、52イニング連続無失点を達成した。この両試合の間の5試合を全て完封勝利しており、52イニング連続無失点と5試合連続完封勝利はいずれも現在のプロ野球タイ記録である。 2011年に全球団に勝ち越して交流戦を優勝したソフトバンクは、リーグ戦でも他の5球団に勝ち越して優勝しており史上初の全11球団に勝ち越しての完全優勝を果たした。2019年現在でもこれが唯一の達成事例である。逆のパターンでは、2019年にヤクルトが交流戦を含め全11球団に負け越している。ただし、交流戦の順位は11位(最下位は広島)。 2013年はセ・リーグ6球団が交流戦限定でリーグのスローガン「セが制す!」のロゴが入った帽子を着用。6月13日にソフトバンクの交流戦優勝とパ・リーグの勝ち越しが決まったが、翌日の6月14日以降もロゴ入りの帽子を継続して着用した。 2014年は交流戦10周年にあたることから、前述の通りセ・リーグでの主催試合のみでDH制が採用された。 2014年5月31日の京セラドーム大阪でのオリックス対巨人戦で、オリックス先発の金子千尋が9回まで4与四球1失策の無安打無得点に抑えていたものの味方の援護がなく、パ・リーグの主催試合で投手が打席に立つというこの年のルールにより、9回裏一死二塁で金子に打席が回ってきた際に代打が送られ、その後延長戦に突入したため、無安打無得点のまま降板し単独でのノーヒットノーラン達成を逃す。9回以上を無安打無得点で降板したのは2006年の八木智哉(当時日本ハム)以来NPB史上2人目で、代打を送られての降板は同史上初。試合は12回表に亀井善行が馬原孝浩から本塁打を放ち、1-0で巨人が勝利した。 2014年6月21日の阪神甲子園球場での阪神対楽天戦で、楽天先発の則本昂大が1シーズンにおける交流戦史上最多となる4完封を記録した。 2014年6月22日に東京ドームで行われた巨人対ソフトバンク戦は、勝ったチームが交流戦の優勝となる「優勝決定戦」でもあった。このように1位・2位の直接対決で優勝が決まるのは初めてで、試合は10 - 5で巨人が勝利し2年ぶり2度目の優勝を果たした。 2015年には交流戦開幕前にセ・リーグ上位だった巨人・DeNAが大きく負け越した結果、交流戦終了後の6月23日にセ・リーグ全チームが勝率5割以下(巨人と阪神が5割。勝利数の差で巨人が首位、阪神が2位。以下4チームが負け越し)となった。翌24日には全チームが勝率5割未満となる可能性もあったが、これは回避された。その後、7月2日に再び全チームの貯金がなくなり(ヤクルトと阪神が5割。勝利数の差でヤクルトが首位)、更に翌3日には、ヤクルト・阪神がいずれも敗れたため全チームの勝率が5割未満(首位ヤクルトが37勝38敗で勝率.4933)となり、さらに上位5チームが0.5ゲーム差内にひしめくという事態が発生した。この状態は1日で解消したが、その後も抜け出すチームが現れず、オールスター前(前半戦終了)の7月15日に再び首位が勝率5割となると、後半戦開始直後の7月21日には再び全チームが勝率5割未満となった(この時は3チームが借金1。勝率の差で巨人が1位)。なお、翌22日には2チームが5割に復活し、その後全チームの勝率が5割以下となることはなかった。最終的に6月・7月に首位が5割となった日が7日(6月23日、7月2日、4日、7日、15日、20日、22日)、全チーム借金となった日が2日(7月3日、21日)を記録した(いずれも、全チームの試合がない日を除く)。リーグ戦のみでは全体の収支は必ず差し引き0になるため、過去にも開幕直後などに全チームが勝率5割で並ぶことはあった。それ以外で全チームが勝率5割以下、あるいは5割未満となるのは、交流戦が始まったことにより可能性が生じたものであるが、いずれも11年目にして史上初の珍事となった。なお交流戦で勝ち越したリーグの全チームが勝率5割以上または超過となる可能性も同様にあるが、2019年現在実現していない。 2016年6月12日に札幌ドームで行われた日本ハム対阪神戦で、日本ハム先発である大谷翔平が5番・投手で先発した。指名打者制が採用されているパ・リーグ本拠地主催試合で指名打者を放棄し、先発投手が打順に入るというのは交流戦史上初。なお、この試合で指名打者を放棄したのは日本ハムだけであり、阪神は5番・指名打者として原口文仁を打順に入れた。また、この試合で、大谷翔平は自身が持つ球速最速記録タイである「163km/h」を記録した。後に同年クライマックスシリーズで自身の最速記録を「165km/h」まで伸ばしたが、交流戦では「163km/h」が最速となる。 2019年の交流戦でオリックスの中川圭太が史上初のルーキーでの交流戦首位打者を獲得した。 2022年は、12球団チーム対抗戦でヤクルトが優勝、並びにリーグ対抗戦においてもセ・リーグ側が勝ち越しとなり、初めてセ・リーグ勢がチームタイトルを独占した。また大会創設18年(17回)目にして、雨天中止・ノーゲームによる日程の順延などが生じず、初めて所定日程期間内で消化することができた。 片方のリーグに所属する全6チームが同じ日に勝利する事例は、過去8回発生している。パ・リーグ:5回2006年5月12日・同6月7日・2007年5月22日・2015年6月14日・2022年5月29日 セ・リーグ:3回2008年6月18日・2014年6月15日・2018年6月9日
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