規模と目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:31 UTC 版)
検討の結果1959年(昭和34年)7月29日に答申された案が最終的な沼田ダム計画案となった。この案は産業計画会議第8次レコメンデーション『東京の水は利根川から - 8億トンを貯水する沼田ダムを建設せよ』として発表された。 ダムの規模は高さ 125 m で当時の利根川水系では最大規模の高さを有し、日本国内でも屈指の規模となる。型式は本文中に明確に記載されている訳ではないが、表紙をはじめとするイラストの全てがアーチ式コンクリートダムで描かれており、アーチ式を念頭に置いたものとなっている。そしてダムによって形成される人造湖は 9億 m3 の総貯水容量となり、現在日本最大の総貯水容量を有する徳山ダム(揖斐川)の 6億6,000万 m3 を大幅に凌駕、湛水面積は 2,700 ha と芦ノ湖の4倍、日本最大の湛水面積を有する雨竜第一ダム(雨竜川)の 2,373 ha を上回り、日本最大となる。天然の湖沼を含めれば日本国内では田沢湖の湛水面積を超え、関東地方では霞ヶ浦、北浦に次ぐ第3位の規模を有する湖となる。この人造湖により洪水調節、灌漑、上水道・工業用水道の供給そして水力発電を行う目的とした。 利根川水系主要ダム比較表(1959年当時完成していたダム事業は黄色欄で示す)ダム河川高さ(単位:m)総貯水容量(単位:m3)湛水面積(単位:ha)着工年完成年備考沼田ダム 利根川 125.0 900,000,000 2,700.0 1953年 中止 矢木沢ダム 利根川 131.0 204,300,000 570.0 1959年 1967年 利根川上流ダム群 須田貝ダム 利根川 72.0 28,500,000 130.0 1952年 1955年 藤原ダム 利根川 95.0 52,490,000 169.0 1951年 1957年 利根川上流ダム群 利根川河口堰 利根川 7.0 90,000,000 2,100.0 1962年 1970年 奈良俣ダム 楢俣川 158.0 90,000,000 200.0 1973年 1990年 利根川上流ダム群 相俣ダム 赤谷川 67.0 25,000,000 98.0 1952年 1959年 利根川上流ダム群 薗原ダム 片品川 76.5 20,310,000 91.0 1958年 1965年 利根川上流ダム群 八ッ場ダム 吾妻川 116.0 107,500,000 304.0 1952年 2020年 利根川上流ダム群 下久保ダム 神流川 129.0 130,000,000 327.0 1959年 1968年 利根川上流ダム群 草木ダム 渡良瀬川 140.0 60,500,000 170.0 1965年 1976年 利根川上流ダム群 渡良瀬貯水池 渡良瀬川 6.5 26,400,000 450.0 1973年 1989年 利根川上流ダム群 川俣ダム 鬼怒川 117.0 87,600,000 259.0 1957年 1966年 川治ダム 鬼怒川 140.0 83,000,000 220.0 1968年 1983年 五十里ダム 男鹿川 112.0 55,000,000 310.0 1941年 1956年 湯西川ダム 湯西川 119.0 75,000,000 198.0 1982年 2012年 霞ヶ浦開発 常陸利根川 - 1,253,000,000 22,000.0 1970年 1995年 湖沼水位調整施設 洪水調節については既設の藤原ダム・相俣ダム、計画中の矢木沢ダム・八ッ場ダム・下久保ダム・薗原ダムおよび根利川ダム(根利川)と共に洪水調節を行うが、沼田ダム単体で治水基準点である群馬県伊勢崎市八斗島において毎秒 1万7,000 m3 の計画高水流量より毎秒 3,000 m3 を調節、他のダムと合わせると毎秒 6,000 m3 を調節する。灌漑については赤城・榛名大開田計画の水源として、ダムから放流した水を利根川・吾妻川合流点に建設する堰より取水、赤城・榛名山麓のみならず群馬県前橋市・高崎市、埼玉県本庄市・深谷市・熊谷市・さいたま市を経て八潮市の中川まで連結する用水路を建設。その他の新規農地開拓事業へも用水を供給する。灌漑用水としては毎秒 30 m3 、1日量約 260万 m3 を供給する。上水道と工業用水道は東京都および京浜工業地帯などの東京湾沿岸の工業地域に毎秒 45 m3 、1日量 390万 m3 を供給。そして水力発電については直下流の渋川市敷島付近に規模は不明ながら逆調整用のダムを建設、合わせて下部調整池とすることで最大 130万 kW の揚水発電を行い、火力発電と連携する。この発電規模は当時としては日本最大の出力を有する水力発電所計画であった。年間電力発生量も 35億 kWh と佐久間発電所の約2倍強となり、これもまた日本最大となる。さらに水の有効利用を図るため只見川源流の尾瀬に計画されていた尾瀬原ダム計画をも活用、尾瀬より片品川を経て毎秒 6 m3 の水を沼田ダムに導水、阿賀野川水系から利根川水系へ流域変更することも提言。加えて利根川水系のダム管理を効率的に一元化するための「利根川開発庁」設置も提案している。 そして地域振興として沼田ダムの人造湖を有効利用することも提言している。すなわちダム湖周辺を緑地帯として整備しレクリェーションを行えるように整備、ダム左岸に国道17号を整備すると共に右岸に舗装道路を設けて猿ヶ京温泉や水上温泉へのアクセスを容易にして観光客を呼び込む。また水没を免れる高台に都市計画に基づいた新しい沼田市街を造成し国鉄上越線新沼田駅を建設、新都市には工場や研究所を誘致して沼田市の活性化を図るとした。 沼田ダム建設に必要な事業費はダム本体事業費が1959年当時の金額で522億5,000万円、発電事業費が707億円、水路整備費に400億円、合計で約1,629億5,000万円となる。これを現在の貨幣価値に直すと順調に事業が進捗したと仮定しても約9,777億円と実に1兆円近くの巨費となり、日本最大級のプロジェクトとなる。
※この「規模と目的」の解説は、「沼田ダム計画」の解説の一部です。
「規模と目的」を含む「沼田ダム計画」の記事については、「沼田ダム計画」の概要を参照ください。
- 規模と目的のページへのリンク