袁紹陣営
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袁紹(えん しょう、字・本初) 声:てらそままさき / 服巻浩司(三国志大戦) 曹操の幼馴染。政治・戦を含めた全ての行動において「王道」を進むことを信条とし、小細工や奇策を弄することを好まない。従来の価値観や常識にとらわれない曹操とは対照的な性格で、良く言えば常識人、悪く言えば既成概念から脱却できない人物である。動揺や困惑をすることが多い一方でそれを乗り越えて行動できるだけの自信と精神力の持ち主でもあり、多くの家臣や兵士たちは袁紹に心酔し、曹操もからかいながらも実力を高く評価している。ただ、曹操と器を比べられた際には、袁紹のほうに否定的な評価をする人物が圧倒的に多い。 董卓の死後から河北に一大勢力を築き、圧倒的な軍を率いて曹操と対峙。官渡の戦いの途中で勝利を確信し、自身の天下を意識するようになってからは、激太りし、全てを肯定的に受け入れる楽観的思考の塊のような人物に豹変する。その姿を見た曹操は「慢心を極めた醜い姿」と憤慨したが、それが彼の亡き母親と同じ姿であり、袁紹が崇高と考え辿り着いた「天下人」の姿であるということに思い至ってからは「自分の血統を重んじた」と評価を改める。しかし、戦を崇高なものとする彼の戦争観は否定していた。 烏巣兵糧基地が全滅した翌日に一軍を率いて出陣したところへ青州兵と曹操軍の総攻撃を受け、軍は壊滅状態となり、袁譚とともに地下に身を潜めていたところを曹操に見つかり、無言で別れを遂げた。それを最後に登場しなくなるが、数年後に病死したことが語られる。 袁譚(えん たん、字・顕思) 声:加瀬康之 袁紹の長子。父袁紹が冀・并・青・幽の四州をおさめた後に青州を預かる。父からは「蛮勇を足し加える必要がある」、「天下に見事な均衡を与えることができる男」と評されるほど堅実な性格だが、それゆえに父の「王の風格」を信じて疑わない袁尚とは衝突が絶えず、曹操への勝利を確信して緩みきった軍の有様に一人危機感を募らせる。烏巣兵糧基地が全滅した際には打開策として全軍による許都侵攻を涙ながらに訴えるが、窮状すら笑って受け入れるだけの袁紹には聞き入れられなかった。直後に青州兵と曹操軍の総攻撃を受け、袁紹を連れて命からがら逃げ、ともに地下に身を潜めていたところを曹操に見つかり、それを最後に登場しなくなった。 袁煕(えん き、字・顕奕) 袁紹の次子。甄姚の元夫。父からは「武勇を足し加える必要がある」と評される。兄袁譚、弟袁尚が跡目争いをしているなか、どちらにも与せず中立を保つ(やや弟に期待をよせる節も見受けられる)。袁紹の死後は領土であった北方四州を曹操に奪われ、袁尚とともに北方の烏丸族のもとに身を寄せる。官渡大戦頃までは名門の自信と落ち着きを持った人間であったが、この頃には苦労が続いたせいか人が変わったかのように弱気な性格となり、外見もやせ細り頭も禿げあがってしまった。烏丸族の敗北後は北の公孫康の下に逃れるが、裏切られて袁尚とともに斬られた。 袁尚(えん しょう、字・顕甫) 袁紹の三子。考えるより先に行動してしまうタイプのようで思慮に欠けるきらいがあり、父からは「智勇を足し加える必要がある」と評された。父を心より尊敬し目標にしているが、袁譚には「気分で父の真似をしているだけ」と非難され確執が生まれた。袁煕と対照的に、官渡敗戦後も最後の最後まで強気な姿勢を崩さず、袁家の再興のために奮闘したが、その強気も自身と相手の状況をまるで理解していないがゆえであり、公孫康からは「痛快な程に図々しく蒙昧」と失笑されていた。公孫康の下で袁煕とともに斬られた。 麴義(きく ぎ) 声:西嶋陽一 袁紹軍の武将。公孫瓚との戦いで先陣を切るが、公孫瓚軍に加勢した趙雲の単騎駆けによって一刀の下に斬り伏せられ正史における界橋の戦いの活躍は描かれず演義準拠の最期を遂げた。 顔良(がん りょう) 声:天田益男 文醜と並び、袁紹軍の二枚看板。冷静に軍を束ねる能力を持ち合わせた人物。元は侠者で、同じく侠者の過去を持つ関羽を知っており、関羽の昔の呼び名「長生(ちょうせい)」に言及した唯一の人物である。白馬津で関羽に胴体真二つに斬り捨てられる。 文醜(ぶん しゅう) 声:宇垣秀成 顔良と並び、袁紹軍の二枚看板。顔良亡き後、北方の騎馬民族を率いて曹操軍を追撃する。曹操による軍を分断される用兵にも屈せず見事な対応を見せ、将器を荀攸に絶賛される。曹操にあと一歩まで迫ったが届かず戦死。 田豊(でん ほう、字・元皓) 袁紹軍の老軍師。笑顔を人に見せたことがなく、小柄な体格ながら数多くいる袁紹軍軍師のなかでも最古参で一際存在感を放つ。戦を憂うべき凶事としてとらえ官渡大戦における袁紹自身の黄河渡河の際は身を挺して止めようと試みる。 許攸(きょ ゆう、字・子遠) 袁紹軍の軍師。紹介はされていないものの、早いうちから袁紹幕下にいる。本格的な登場は官渡大戦時。袁紹軍のため、曹操軍に対して奇策を用いるべく降伏を装う。しかし旧知の間柄と思っていた曹操には、存在を全く覚えられておらず、奇策の中身も聞かれず、さらに結局一度も戦いに関わることができず、と散々なありさまであった。 沮授(そ じゅ) 声:内田直哉 袁紹軍の軍師。広い額が特徴。物事を冷静に分析でき、袁紹のいう「王道」に一抹の不安を抱いていたが、40万の華やかな進軍にある彼の意志を確認することでその思いを払拭する。 利火羅(りから) 文醜配下の将。異民族らしく片言で喋る。白馬津の戦いでは、張遼率いる別働隊に対して追撃部隊を率いる。 審配(しん ぱい、字・正南) 袁紹軍軍師。紹介はされていないが袁紹幕下の中心的存在。主君の前では落ち着いた物腰で献策するが、他の家臣らなどに対しては傲慢な態度や厳しい態度をとる。 韓荀(かん じゅん) 袁譚配下の武将。曹操軍の兵糧を焼き討ちにする任を帯びる。 劉辟(りゅう へき) 元黄巾賊の武将。袁紹に呼応して曹操と戦う。気持ちのいい性格をした戦上手の老将であり、対陣する曹仁を苦しめる。袁紹によって派遣されてきた劉備軍と同盟するも、当初は劉備をやや軽視していた。その後、劉備の力を認めるが、直後に曹仁に斬られる。 淳于瓊(じゅんう けい、字・仲簡) 袁紹軍の将軍。曹操との決戦では烏巣兵糧基地の防衛指揮官を務める。自軍の防衛に自信を持っていたが曹操の奇策を前に敗北。賈詡らに顔や腕を斬られ馬から落ち、後続する曹操軍の大量の騎兵に切り刻まれて死んだ。 崔桂(さい けい) 袁紹軍の武将。幕舎で眠っていたところを、伝令と偽って陣中に入り込んだ賈詡に襲撃される。賈詡の脅しに加え、許攸の合図もあって甲冑と軍旗を曹操の部隊に引き渡す。 睦元進(ぼく げんしん) 袁紹軍の武将。曹操との決戦では淳于瓊の配下として烏巣兵糧基地を守備する。曹操率いる軽騎隊による思わぬ奇襲を受けるも、そのまま軍を通過されてしまう。慌てて曹操を追撃するも賈詡の策に利用され、淳于瓊が討たれると曹操に降伏するが、許されずに青州兵に殺された。 韓莒子(かん きょし) 袁紹軍の武将。曹操との決戦では烏巣兵糧基地の守備を務めていたが、賈詡による睦元進が降伏したという虚報によって軍は混乱し、曹操の烏巣への進軍を許してしまう。睦元進とともに曹操に投降するも、青州兵に殺された。 呂威璜(りょ いこう) 袁紹軍の武将で、烏巣の伏兵部隊の第三の将。崔桂、睦元進が討ち取られたという偽報に動揺し、曹操の進軍を許してしまう。 劉夫人(りゅうふじん) 袁紹の室。袁紹の死後、甄姚や他の夫人らと共に鄴城にいた。鄴城が曹操軍に攻められた時も毅然とした態度を貫くが、城に一番乗りを果たした曹丕によって処断される。 郭援(かく えん) 高幹とともに反乱を起こしたが、曹操の要請を受けた馬超によって討伐される。馬超は郭援を捕縛し、龐悳に手柄を譲ってこれを斬らせた。
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