袁紹陣営とは? わかりやすく解説

袁紹陣営

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)

蒼天航路」の記事における「袁紹陣営」の解説

袁紹えん しょう、字・本初) 声:てらそままさき / 服巻浩司三国志大戦曹操幼馴染政治・戦を含めた全ての行動において「王道」を進むことを信条とし、小細工奇策弄することを好まない従来価値観常識にとらわれない曹操とは対照的な性格で、良く言えば常識人、悪く言えば既成概念から脱却できない人物である。動揺困惑をすることが多い一方でそれを乗り越えて行動できるだけの自信精神力持ち主でもあり、多く家臣兵士たち袁紹心酔し曹操からかいながらも実力高く評価している。ただ、曹操と器を比べられた際には、袁紹のほうに否定的な評価をする人物圧倒的に多い。 董卓死後から河北一大勢力築き圧倒的な軍を率いて曹操対峙官渡の戦い途中で勝利を確信し自身天下意識するようになってからは、激太りし、全て肯定的に受け入れ楽観的思考の塊のような人物豹変する。その姿を見た曹操は「慢心極めた醜い姿」と憤慨したが、それが彼の亡き母親と同じ姿であり、袁紹崇高考え辿り着いた天下人」の姿であるということ思い至ってからは「自分血統重んじた」と評価改める。しかし、戦を崇高なものとする彼の戦争観否定していた。 烏巣兵糧基地全滅した翌日一軍率いて出陣したところへ青州兵と曹操軍総攻撃を受け、軍は壊滅状態となり、袁譚とともに地下身を潜めていたところを曹操に見つかり、無言別れ遂げた。それを最後に登場しなくなるが、数年後病死したことが語られる袁譚えん たん、字・顕思) 声:加瀬康之 袁紹長子。父袁紹が冀・并・青・幽の四州おさめた後に青州を預かる。父からは「蛮勇足し加え必要がある」、「天下見事な均衡与えることができる男」と評されるほど堅実な性格だが、それゆえに父の「王の風格」を信じて疑わない袁尚とは衝突絶えず、曹操への勝利を確信して緩みきった軍の有様一人危機感募らせる烏巣兵糧基地全滅した際には打開策として全軍による許都侵攻涙ながらに訴えるが、窮状すら笑って受け入れるだけの袁紹には聞き入れられなかった。直後青州兵と曹操軍総攻撃を受け、袁紹連れて命からがら逃げ、ともに地下身を潜めていたところを曹操に見つかり、それを最後に登場しなくなった袁煕(えん き、字・顕奕) 袁紹次子甄姚元夫。父からは「武勇足し加え必要がある」と評される。兄袁譚、弟袁尚跡目争いをしているなか、どちらにも与せず中立を保つ(やや弟に期待をよせる節も見受けられる)。袁紹死後領土であった北方四州曹操奪われ袁尚とともに北方烏丸族のもとに身を寄せる官渡大戦頃までは名門自信落ち着き持った人間であったが、この頃には苦労続いたせいか人が変わったかのように弱気性格となり、外見もやせ細り頭も禿げあがってしまった。烏丸族敗北後は北の公孫康の下に逃れるが、裏切られ袁尚とともに斬られた。 袁尚えん しょう、字・顕甫袁紹三子考えるより先に行動してしまうタイプのようで思慮欠けるきらいがあり、父からは「智勇足し加え必要がある」と評された。父を心より尊敬し目標にしているが、袁譚には「気分で父の真似をしているだけ」と非難され確執生まれた袁煕対照的に官渡敗戦後最後の最後まで強気な姿勢崩さず袁家再興のために奮闘したが、その強気自身相手状況をまるで理解していないがゆえであり、公孫康からは「痛快な程に図々しく蒙昧」と失笑されていた。公孫康の下で袁煕とともに斬られた。 麴義(きく ぎ) 声:西嶋陽一 袁紹軍武将公孫瓚との戦いで先陣を切るが、公孫瓚軍に加勢し趙雲単騎駆けによって一刀の下に斬り伏せられ正史における界戦い活躍描かれ演義準拠最期を遂げた顔良がん りょう) 声:天田益男 文醜並び袁紹軍二枚看板冷静に軍を束ねる能力持ち合わせ人物。元は侠者で、同じく侠者過去を持つ関羽知っており、関羽の昔の呼び名長生ちょうせい)」に言及した唯一の人物である。白馬津で関羽胴体真二つ斬り捨てられる。 文醜ぶん しゅう) 声:宇垣秀成 顔良並び袁紹軍二枚看板顔良亡き後北方騎馬民族率いて曹操軍追撃する。曹操による軍を分断される用兵にも屈せず見事な対応を見せ将器荀攸絶賛される。曹操あと一歩まで迫った届かず戦死田豊でん ほう、字・元皓) 袁紹軍の老軍師笑顔を人に見せたことがなく、小柄な体格ながら数多くいる袁紹軍軍師なかでも最古参一際存在感放つ。戦を憂うべき凶事としてとらえ官渡大戦における袁紹自身黄河渡河の際は身を挺して止めよう試みる。 許攸きょ ゆう、字・子遠袁紹軍軍師紹介はされていないものの、早いうちから袁紹幕下にいる。本格的な登場官渡大戦時袁紹軍のため、曹操軍に対して奇策用いるべく降伏装う。しかし旧知間柄思っていた曹操には、存在を全く覚えられておらず、奇策中身聞かれず、さらに結局一度戦い関わることができず、と散々なありさまであった沮授(そ じゅ) 声:内田直哉 袁紹軍軍師。広い額が特徴物事冷静に分析でき、袁紹のいう「王道」に一抹の不安抱いていたが、40華やかな進軍にある彼の意志確認することでその思い払拭する利火羅(りから) 文醜配下の将。異民族らしく片言で喋る。白馬津の戦いでは、張遼率い別働隊に対して追撃部隊率いる。 審配(しん ぱい、字・正南) 袁紹軍軍師紹介はされていない袁紹幕下中心的存在主君の前では落ち着いた物腰献策するが、他の家臣らなどに対して傲慢な態度厳し態度をとる。 韓荀かん じゅん) 袁譚配下武将曹操軍兵糧焼き討ちにする任を帯びる。 劉辟(りゅう へき) 元黄巾賊武将袁紹呼応して曹操と戦う。気持ちのいい性格をした戦上手の老将であり、対陣する曹仁苦しめる。袁紹によって派遣されてきた劉備軍同盟するも、当初劉備をやや軽視していた。その後劉備の力を認めるが、直後曹仁に斬られる。 淳于瓊(じゅんう けい、字・仲簡) 袁紹軍将軍曹操との決戦では烏巣兵糧基地防衛指揮官務める。自軍防衛自信持っていたが曹操奇策前に敗北賈詡らに顔や腕を斬られ馬から落ち後続する曹操軍大量騎兵切り刻まれ死んだ崔桂さい けい袁紹軍武将幕舎眠っていたところを伝令偽って陣中入り込んだ賈詡襲撃される賈詡脅し加え許攸合図もあって甲冑軍旗曹操部隊引き渡す睦元進(ぼく げんしん袁紹軍武将曹操との決戦では淳于瓊配下として烏巣兵糧基地守備する曹操率い軽騎隊による思わぬ奇襲を受けるも、そのまま軍を通過されてしまう。慌てて曹操追撃するも賈詡の策に利用され淳于瓊討たれる曹操降伏するが、許されずに青州兵に殺された。 韓莒子かん きょし) 袁紹軍武将曹操との決戦では烏巣兵糧基地守備務めていたが、賈詡による睦元進降伏したという虚報によって軍は混乱し曹操烏巣への進軍許してしまう。睦元進とともに曹操投降するも、青州兵に殺された。 呂威璜(りょ いこう) 袁紹軍武将で、烏巣伏兵部隊第三の将。崔桂睦元進討ち取られたという偽報に動揺し曹操進軍許してしまう。 劉夫人(りゅうふじん) 袁紹の室。袁紹死後甄姚や他の夫人と共に鄴城にいた。鄴城が曹操軍攻められた時も毅然とした態度を貫くが、城に一番乗り果たした曹丕によって処断される。 郭援かく えん高幹とともに反乱起こしたが、曹操要請受けた馬超によって討伐される。馬超郭援捕縛し龐悳手柄譲ってこれを斬らせた。

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