船体の引き上げ
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「九州南西海域工作船事件」の記事における「船体の引き上げ」の解説
小泉政権は断固引き上げを前提として中国政府と交渉を重ね、最終的に2002年6月18日に口上書が交わされ、日中外相会談にて確認された。 これを受けた海上保安庁は、「90メートルもの深海に沈んだ船を引き揚げてどうする」という反対意見や台風などの困難がありながらも、捜査の一環として沈没した不審船の引き上げを敢行した。なお、自国EEZ内での引き上げ作業や捜査を許可した中国側に対し、漁業補償の意も込め日本国政府から1億5,000万円の「捜査協力金」が支払われた。 沈没した不審船の船体および海底に散らばった遺留品は、2002年9月11日に海中より回収され、鹿児島県の港に運び込まれ、鑑識による分析が行われた。その結果、「船は北朝鮮の工作船であり、遺体で回収された乗組員は北朝鮮の工作員である」と断定された。遺体は被疑者としての鑑定後、北朝鮮への返還が検討されたものの、北朝鮮政府および朝鮮総連が無関係の態度を貫いたことから、行旅死亡人として扱われ、火葬された上で鹿児島市の無縁仏草牟田墓地内の無縁者納骨堂に葬られた。事件は漁業法違反と刑法の殺人未遂罪で鹿児島地方検察庁に送致された後に、被疑者死亡により不起訴処分となった。 船体の引き上げによって得られた成果の一つには、工作船の弱点に関する発見があった。海上保安大学校では、研究チームが船体を検分して精密な模型を制作し、様々な実験を行なったところ、波の高さが3メートルを超えた場合、不審船の速力は大幅に低下することが判明した。これにより、事件当時、工作船が悪天候の中を低速で逃走した謎は解明された。
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船体の引き上げ
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陸奥の沈没場所は浅い瀬戸内海であるが、潮流が速く視界も悪いため潜水するのは危険な場所である。爆沈直後から、海軍は陸奥の潜水調査を実施した。調査には西村式潜水艇(豆潜水艦)も投入されている。海軍は「可能であれば引き揚げて3ヶ月の工期で再戦力化したい」という希望を持っていたが、調査の結果、船体の破損が著しく再生は不可能と判断され浮揚計画は放棄された。1944年(昭和19年)7月、陸奥燃料庫から重油の回収作業が行われ約600トンを回収した(竹作業)。終戦後の浮揚作業は、占領下の監視のために行われなかったが、1948年(昭和23年)に西日本海事工業株式会社が艦の搭載物資のサルベージを開始する。この際、許可範囲を超えた引き揚げが行われる「はぎとり事件」が起こり作業は中断した。昭和28年8月16日、艦首の「菊の紋章」が引き上げられた。ケヤキ製で表面に金箔が張られていたが、劣化が進行していた。「菊の紋章」は文化財と判断され、文化財保護委員会を通して資料番号が割り振られた。 1970年(昭和45年)、大蔵省は深田サルベージ株式会社(現:深田サルベージ建設株式会社)が申請していた艦体の払い下げを2450万円(評価額から引き揚げ費用相当額を差し引いた額)で認め、同社主導によるサルベージが再開された。同年7月22日、1500トンクレーンによって艦尾部分(1400トン)の一括引き揚げを試みたが、85 mm ワイヤ8本が切断するなどして失敗した。この失敗を踏まえて、艦尾部分を前半部分と後半部分に海底で切断し、1971年3月15日に100 mm ワイヤー(日本で初めて使用)2本と85 mm ワイヤー4本を使用して艦尾の後部部分(500トン:長さ10メートル)を引きあげた。引き上げた艦尾の後部部分は、切断面を下にして広場に据え置かれた。のちの調査では、広さ3平方メートルの艦長食器室から旧帝国海軍の錨のマークが描かれた皿やコーヒーポットなどが回収されている。同様に第四砲塔が引き揚げられ、内部から数点の遺骨が回収された。その他の部分は、海中で細かく分割され引き上げられた。減圧作業のため1回の潜水での作業時間は20分程度であった。陸奥の沈没から20余年が経過して船体は海藻の森ないし漁礁のようになっていて滑りやすく、透明度も1メートル程度しかなく作業は難航した。艦体の約75%が浮揚されたところで引き揚げ作業は終了した。艦橋部と艦首部等を除く艦の前部分などが海底に残っている。2007年(平成19年)4月7日、第六管区海上保安本部は測量船くるしまのマルチビーム探測機を用いて、海底に残る陸奥の船影を捉え一般公開した。
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