引き上げ作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 23:33 UTC 版)
「エンプレス・オブ・アイルランド」の記事における「引き上げ作業」の解説
事故から少し後にエンプレス・オブ・アイルランドの引き上げが開始され、遺体や貴重品が回収された。セントローレンス川は視界が悪く、流れも急であり、作業中に一人の潜水夫が亡くなっている。彼はおそらくエンプレス・オブ・アイルランドの船体から足を滑らせ川底に落ちたのではないかと見られている。命綱で引き上げられたものの意識不明の状態で、蘇生を試みるも意識が戻ることは無かった。回収を安全に行えるように船体に穴が開けられ、郵便袋318袋と212本の銀塊(当時の額で150,000ドル相当)が回収された。 一ヵ月後には第一次大戦が始まり、エンプレス・オブ・アイルランドはその後50年間忘れ去られた。1964年にカナダのダイバーが潜り、船から真鍮製の号鐘を回収している。1970年代に入ると別のグループがマルコーニ製の無線電信機器のパーツや真鍮製の船窓、羅針盤などを回収している。 タイタニックやドイツの戦艦ビスマルクを発見したことで知られる海洋考古学者ロバート・バラードはエンプレス・オブ・アイルランドを調査し、泥に埋もれていることを確認した。また「トレジャーハンター」によって遺骨に残されていた宝飾品が持ち去られていることにも気づいた。
※この「引き上げ作業」の解説は、「エンプレス・オブ・アイルランド」の解説の一部です。
「引き上げ作業」を含む「エンプレス・オブ・アイルランド」の記事については、「エンプレス・オブ・アイルランド」の概要を参照ください。
引き上げ作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:14 UTC 版)
「コスタ・コンコルディアの座礁事故」の記事における「引き上げ作業」の解説
2012年2月に、オランダの海洋サルベージ会社スミット社とイタリアのネリ社により、船体から重油を取り除く作業が始められ、5月に終了した。 島の沖合に横たわったままだった船体を引き起こす史上最大の作業は、現地時間で2013年9月16日午前8時(雷雨のため予定より2時間遅れた)に開始され、17日未明に完了した。このときに、船体が壊れ、有害物質の流出が懸念されていた。また、サルベージ会社は、「真っ二つになる可能性もある」とし、船内の燃料は抜き取られていたが、塗料用シンナー、殺虫剤、潤滑油など数千リットルの有害物質やチーズ、肉などの食料が残されており、失敗すれば、地中海の汚染は免れられなかった。そのため、ジリオ島には、世界から約500人の専門家が集結した。 船体の引き揚げ作業は、アメリカ・フロリダのタイタン・サルベージ社とイタリアの海洋工事会社ミコペリ社が請け負った。引き揚げ計画のリーダーには、客船の持ち主であるコスタ・クルーズ社に雇われた南アフリカ人のフリーランス転覆船処理請負人、ニック・スローンが就任し、チヴィタヴェッキア港を作業基地にして始められた。船体は65度傾いており、ケーソン(浮き箱)に海水を注入して、その重みを利用し、浮き箱ごとケーブルで引っ張り上げ、約19時間の時間をかけて慎重に起こされた。 水平になった船体は、2014年7月20日にケーソンを使って水に浮かせる作業に成功した。その後は引き船で近くのドックへ運び、解体される予定であるが、一連の撤去費用には15億ユーロ(約2070億円)が見込まれている。建造時の予算は約650億円であるため、解体費用はこれを上回る。。このクラスの巨大船の座礁を処理する場合、通常であれば爆破処理した方がコストを抑えられるが、この事故処理では有害物質の流出防止と行方不明者の捜索の必要があったため、引き揚げ作業が行われた。なお、この史上最大の作戦は2014年6月16日放送の日本テレビ系列世界まる見え!テレビ特捜部でも放送された。
※この「引き上げ作業」の解説は、「コスタ・コンコルディアの座礁事故」の解説の一部です。
「引き上げ作業」を含む「コスタ・コンコルディアの座礁事故」の記事については、「コスタ・コンコルディアの座礁事故」の概要を参照ください。
- 引き上げ作業のページへのリンク