組織拡大への挑戦と再編の時代
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「全日本自治団体労働組合」の記事における「組織拡大への挑戦と再編の時代」の解説
1989年参院選および1990年衆院選においては、土井たか子による「おたかさんブーム」により、日本社会党や連合の会の候補が大量当選を果たした。日本社会党は、ほとんどの国会議員候補に対し、中心的に支援する責任単産を決め、組織内議員候補として位置づける慣習があった。当時、国労は国鉄分割民営化の過程で組織が弱体化、日教組は組織率の低下、全電通や全逓は組合員数の減少などで、組織内議員を絞り込んでいたが、自治労が大量の新人候補を組織内議員として抱え、結果として、政治的影響力が強まった。仙谷由人、筒井信隆(のちにJAM単独の組織内議員)のほか、伊東秀子、長谷百合子等、これらの選挙で当選した新人議員の少なくない数が自治労組織内議員であった。 1992年には自治労の産業別組合としての位置づけを「地域公共サービス産別」として、組合員を地方公務員や自治体が設置した外郭団体などの職員のほか、自治体の委託先企業の労働者をはじめ、公的サービスに従事する民間企業労働者を対象として広げた。加盟組合は、地方公務員、自治体が設立した公社・事業団等の職員、自治体の事業を受託する企業、社会福祉法人等の職員などの労働組合のほか、民間病院、専門学校、地区の医師会、土地改良連合会、NPO法人などの職員による労働組合もある。同年には自民党政権を倒すことを基本として「民主リベラル勢力」による政権交代をめざすとした政治目標を決定した。 1993年には、日本社会党を含む8党派連立により細川連立政権が発足し、政権交代が実現した。しかし、細川政権は短命に終わり、その後の政界再編成の混乱から、1994年には自社さ連立政権の誕生により、組織内議員の村山富市が首相に就任した。日本社会党書記局・政策審議会などとともに、自治労は村山政権の政策面を支える役割を負い、介護保険制度の創設などでは、シンクタンク的役割と、国民運動を支える役割を負った。 その一方で1992年の定期大会で決定した「民主リベラル勢力」による政権交代をめざすとした政治目標と、自民党を含む連立政権とは相容れないものであったため、その克服が課題となった。自治労は1996年の村山首相の退陣後、連合の一員として、第三極として民主党結成を支援し、多くの組織内議員が参加した。一方で東北・北信越・四国・九州では自社さ連立政権に参加していた社民党を引き続き支持し続ける事例も存在し、支持政党が民主・社民の両党に分かれた。(13県本部は社民党支持) 小泉政権が発足した後の2001年9月、保険会社との間の積立型共済の運用金の取扱手数料をめぐる裏金疑惑が発覚し、東京地検特捜部の捜査が行われ、法人税法違反の罪などで後藤森重・元中央執行委員長ほか2人が逮捕された(のちに執行猶予付の有罪判決)。この事件を受けて、自治労内に「再生委員会」が発足した。再生委員会は、内部統制の強化や経理の改革などの事件の処理を行うとともに、未組織労働者の組織化などを通じて社会的責任を全うするべきとの方向性を打ち出した。 2000年代からは、同じ自治体関連労組との組織統合が始まり、2002年9月5日には公営競技の組合である全国競走労働組合と、2006年1月1日には合同労働組合である全国一般労働組合と組織統合を果たした。 2001年には日本都市交通労働組合(都市交)、全日本水道労働組合(全水道)との組織統合の話が持ち上がった。自治労・都市交・全水道の三単産は2006年4月14日に地公三単産組織統合準備会を発足させ、完全な統合をめざし、過渡的な連合体として、2007年秋に地域公共サービス労働組合連合会(地域公共連合)を発足させた。これにあわせ、連合への加盟形態も、地域公共連合に変更した。2008年5月には石川県輪島市で開かれた中央委員会において、三単産の統合に伴い、自治労の名称変更をも視野に入れた基本方針が、執行部から提案され可決された。しかし、2009年5月に組織統合は断念された。その後、地域公共連合は解散し、連合の加盟単位も、それぞれの自治労、全水道、都市交に戻した。その後協議を進め、2013年1月の臨時大会で、都市交との組織統合に向けた内部合意をとりつけ、6月1日に都市交と組織統合を果たした。 自治労は、組織拡大に積極的に挑戦し、非正規労働が社会問題化する直前の2005年から自治体の臨時・非常勤職員の組合員化を組織拡大の前面に立てている。しかし、1999年から2006年までのいわゆる「平成の大合併」による地方公務員数の抑制、行革による自治体の外郭団体や委託先事業の整理などが響き、組合員数の減少が続いている。 2001年の第19回参議院議員通常選挙では、自治労組織内候補の民主党・朝日俊弘の比例区での個人得票が約21万票、2004年の第20回参議院議員通常選挙では、同じく組織内候補の民主党・高嶋良充の比例区での個人得票が約17万票にとどまるなど、その集票力に陰りが見えたとも言われたが、2007年の第21回参議院議員通常選挙では中央執行委員(組織局次長)の相原久美子が約50万票を獲得し、民主党の比例代表候補者の個人得票としては、第1位となった。しかし、2010年の第22回参議院議員通常選挙で、高嶋良充の後継となった特別執行委員の江崎孝の得票は約13万票であり、前回参院選の得票から大きく減らす結果となった。 13県本部は引き続き社民党から組織内候補を擁立し、又市征治と吉田忠智が安定して15万票前後の得票を獲得している。吉田は社民党そのものの党勢後退により第24回参議院議員通常選挙で落選したが、第25回参議院議員通常選挙では又市の後継候補として国政復帰している。 2017年10月に民進党が事実上分裂する形で立憲民主党および希望の党が結成されると、連合傘下の産別組織では最初に立憲民主党への支持を明確化し、組織内議員の1人である江崎も2017年12月に立憲民主党に移籍した。立憲民主党として初めて挑んだ第25回参議院議員通常選挙では岸真紀子が約15万票を獲得し、立憲民主党比例名簿1位となった。
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