立憲民主党へ
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2017年9月27日の午後、報道により小池百合子と民進党代表の前原誠司が極秘に会談し、民進党と希望の党の合流について合意がなされたことが明らかとなった。同日、日本共産党は野党共闘を優先し、愛知5区、7区の候補者を取り下げると発表した。9月28日、民進党は希望の党への合流を決定。9月29日、小池は「リベラル派排除」を宣言。記者団に「全員を受け入れるということはさらさらありません」と語る姿、記者会見でにこやかに「排除されない、ということはございませんで、排除いたします」と答える姿が何度もテレビに流れた。 同年9月30日未明、共同通信が「枝野幸男が無所属で出馬する方向で検討に入った。考え方の近い前議員らとの新党結成も視野に入れている」と報道。同日中に民進党の前職、元職計15人の「排除リスト」が出回る。同日、赤松は記者団に希望の党への不参加を明言し、「比例で仲間を惜敗率で救うためには、新党を考えた方が良いと思う」と述べた。 同年10月3日午前、新党「立憲民主党」が設立される。設立届には枝野幸男、長妻昭、菅直人、赤松、阿部知子、初鹿明博ら6人が名を連ねた。赤松は最高顧問に就任した。同日午後、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が愛知5区に元稲沢市議会議員の野々部尚昭を擁立したことが明らかとなった。10月22日の第48回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補し、神田憲次と野々部を破り10選(神田は比例復活)。 同年11月1日、第195回国会にて衆議院副議長に再度就任。それに伴い最高顧問の地位を海江田万里に譲った。衆議院副議長の再登板は現行憲法下で初。 2019年(令和元年)末から2020年(令和2年)にかけて、野党合流に向けて立憲民主党と国民民主党の間で話し合いが幾たびも設けられたが、赤松は2020年(令和2年)1月5日に名古屋市中区で行われた会合で「立憲民主党という名前だけは絶対に変えちゃいかん」と語った。重ねて、「国民民主党代表の玉木(雄一郎)は代表代行ぐらいで、ちょっと横に置くぐらいの形で最後は決着をつけたらどうか」と発言した。2020年9月には、旧立憲民主党と旧国民民主党などの議員により新規に設立された立憲民主党の結成に参加した。 2020年12月7日、次期衆議院議員総選挙には出馬せず引退する意向が報じられた。12月12日に会見で引退を正式に表明し、後任には愛知県議会議員(中川区選出)の西川厚志を擁立することを発表した。 2021年10月14日の衆議院解散をもって、議員としての資格を失ったが、その後も自らが立ち上げ率いてきた党内左派グループであるサンクチュアリを通じて立憲民主党内で大きな影響力を駆使している。2021年の衆院選後に行われた立憲民主党代表選挙では、グループ内の小川淳也が立候補に意欲を示していたが、引退後にも関わらず赤松の連日の執拗な働きかけにより、グループとして逢坂誠二を代表選に擁立することを決定したとされる(小川はグループ外から推薦人を集め立候補したため赤松の裏工作は不発に終わった)
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立憲民主党へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:40 UTC 版)
2020年9月4日、立憲民主党・国民民主党・社会保障を立て直す国民会議・無所属フォーラムの2党2グループが合流して結党する新党の代表選挙に立候補することを表明する。10日の投開票の結果、枝野幸男に敗れた。15日、結党した新・立憲民主党の政務調査会長に就任した。 2021年9月26日、日本維新の会が次期衆院選の京都3区に大山崎町議会議員の井上博明を擁立する方向で調整していることが明らかとなった。10月14日、日本共産党京都府委員会は京都3区と6区は自主投票とし、候補者擁立を見送る方針を明らかにした。同党が衆院選(補欠選挙を除く)の府内の選挙区で候補を立てないのは、中選挙区制時代を含め初めてのこととなった。10月31日の第49回衆議院議員総選挙で8選。木村は比例復活もかなわず議席を失った。
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