立憲民主党会派への参加、第25回参院選
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「社会民主党 (日本 1996-)」の記事における「立憲民主党会派への参加、第25回参院選」の解説
2019年1月24日、参議院において立憲民主党との統一会派「立憲民主党・民友会・希望の会」を結成した。 「希望の会」の名称は、自由党との統一会派時代の名称を引き継いだものである(自由党は国民民主党の会派に合流、後に党としても合流し、解散)。しかしその後、立憲民主党が第25回参議院議員通常選挙の公認候補として石川大我ら社民党の地方議員を引き抜き擁立するなど、他党へ離脱する動きも相次いだ。又市は、立民幹事長の福山哲郎に対し、「極めて不愉快だ。両党間のひびになりかねない」と批判した。 同年春の第19回統一地方選挙においては、都道府県議会では改選前の47議席から22議席へと勢力を半減、市町村議会選挙においても19議席減の53議席の獲得に留まるなど苦戦を強いられた。 2019年7月の第25回参院選では、比例区の得票率が2%以上獲得できないと、公職選挙法上の政党要件を失うため、党の存亡を懸けた「負けられない戦い」と位置付けた。結果、3選挙区は全敗したが、比例区(4人擁立)では1議席を獲得、吉田が国政に復帰した。比例区での得票率2%を上回り、公職選挙法が定める政党要件を2022年(政治資金規正法上は2025年)まで維持した。なお、又市は4月末に発見された肺がんの手術を受け、改選の参院選には立候補せず(代表は続投)、テレビなどの党首討論ならびに遊説には、吉川元幹事長が党を代表した。 選挙後の8月5日には立憲民主党が国民民主党、社民党、旧民進党系の衆院会派「社会保障を立て直す国民会議」に対し、衆議院での立憲会派への参加を打診したが、又市は同日に参加を見送る考えを伝えた。8月20日には立憲・国民両党首間で衆参両院での統一会派結成に合意、社民党は22日の常任幹事会で参議院において立憲・国民両党会派が合流後も統一会派を離脱しない方針を決めたが、衆議院については「党の存在感を無くさないため」として改めて統一会派に参加しない意向を示した。しかし、9月27日には内閣改造・自民党役員人事で「改憲シフト」が強まったと判断し、野党の結束を強化するためとして衆議院でも統一会派に参加する方向に方針転換した。
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