立憲民主党成立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 18:10 UTC 版)
2017年9月28日、衆議院解散。同日午後、前原は民進党両院議員総会において、希望の党に公認申請を依頼し、事実上同党と合流することを提案。前原の提案は全会一致で採択された。しかし9月29日、希望の党代表の小池百合子は民進党全体との合流を否定し、安全保障関連法の容認と憲法改正などを条件に掲げ民進党内の左派、リベラル系議員を排除すると断言、菅らも希望の党との合流を拒否されるとの見方が強まった。 同年9月30日未明、共同通信が「枝野幸男が無所属で出馬する方向で検討に入った。考え方の近い前議員らとの新党結成も視野に入れている」と報道。同日中に民進党の前職、元職計15人の「排除リスト」が出回る。同日夜、枝野、長妻昭、福山哲郎、辻元清美、近藤昭一らは都内のホテルの一室に新党設立を前提として集まり、協議した。10月2日夕方、枝野は記者会見し、新党「立憲民主党」を立ち上げると表明した。菅は枝野の呼びかけに応える形で同党への参加を表明し、同日、民進党を離党した。10月3日、長妻は東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に新党設立を届け出て、受理された。設立届には枝野、長妻、菅、赤松広隆、阿部知子、初鹿明博ら6人が名を連ねた。 立憲民主党が設立された10月3日、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が東京18区にテレビ東京記者の鴇田敦を擁立したことが明らかとなった。10月4日、日本共産党東京都委員会は立憲民主党や社民党と共闘するため、東京1、5、6、7、18、21区について新人候補の擁立を取りやめると発表した。 同年10月22日の第48回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補。自民党の土屋正忠、希望の党の鴇田らを破り13選。7年ぶりに小選挙区で議席を奪還した。 2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙では、かつて自身の内閣で防衛大臣政務官を務めた長島昭久が自民党の刺客候補として送り込まれるも、接戦の末に破り、14期目の当選を果たした(長島は比例復活で当選)。枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では、国のかたち研究会(菅グループ)が中心となって西村智奈美を擁立し、推薦人となった。 2022年4月23日、西村智奈美幹事長は、同年夏の第26回参議院議員通常選挙大阪府選挙区(改選数4)で立憲民主党候補を支援する特命担当に菅を任命したと明らかにした。大阪を本拠地とする日本維新の会への対決姿勢を打ち出す菅の希望だったといい、地元組織に所属しない議員が選対組織に関与するのは異例。
※この「立憲民主党成立後」の解説は、「菅直人」の解説の一部です。
「立憲民主党成立後」を含む「菅直人」の記事については、「菅直人」の概要を参照ください。
- 立憲民主党成立後のページへのリンク