社会民主連合
(社会市民連合 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 02:10 UTC 版)
社会民主連合(しゃかいみんしゅれんごう、英: Socialist Democratic Federation, SDF)は、かつて存在した日本の政党。略称は社民連(しゃみんれん)[8]。
- ^ a b c 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、1160頁。ISBN 4-06-203994-X。
- ^ a b c 藤井正, 五十嵐仁. 日本大百科全書(ニッポニカ) - 社会民主連合 しゃかいみんしゅれんごう. コトバンク. 2018年4月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンク. 2019年5月3日閲覧。
- ^ a b c デジタル大辞泉 - しゃかいみんしゅ‐れんごう〔シヤクワイミンシユレンガフ〕【社会民主連合】. (小学館) コトバンク. 2019年5月3日閲覧。
- ^ Bouissou, Jean-Marie (2002). Japan: The Burden of Success. CERI Series in Comparative Politics and International Studies. C. Hurst & Co.. p. 293. ISBN 9781850655640. OCLC 1166938716 2021年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e 社民連十年史 社民連 われわれのめざすもの. 江田五月公式ホームページ. (1978年3月26日) 2019年5月3日閲覧。
- ^ 社会民主連合【しゃかいみんしゅれんごう】. (平凡社) コトバンク. 2019年5月3日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉 - しゃみん‐れん【社民連】. (小学館) コトバンク. 2019年5月3日閲覧。
- ^ a b c 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、1159頁。ISBN 4-06-203994-X。
- ^ 世界大百科事典内の社会市民連合の言及 【江田三郎】より. (平凡社) コトバンク. 2018年8月9日閲覧。
- 1 社会民主連合とは
- 2 社会民主連合の概要
- 3 政策理念
- 4 党勢の推移
社会市民連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 08:33 UTC 版)
日本社会党の江田三郎は社会党書記長時代の1962年に、アメリカの生活水準、ソ連の社会保障、イギリスの議会制民主主義、日本の平和憲法を4つの柱とする 新しい社会主義像「江田ビジョン」を提唱し党内左派と対立。1976年2月に野党による超党派政策研究集団「新しい日本を考える会」を結成するが、12月の総選挙で落選し、社会主義協会との確執を深めていった。その後も江田三郎は社会主義協会や日本労働組合総評議会(総評)と対立を続ける一方で矢野絢也・佐々木良作らと社公民政権構想を打ち上げるなど独自の活動を続けた。 1977年2月8日、第40回社会党党大会で、共産党を排除した形での、野党協力(具体的には、社公民+新自由クラブ)による「革新・中道連合政権」構想を求める意見書を提出した。しかし、事前に「大会で江田意見書を潰す」と表明した社会主義協会などの激しい反対により否決された。大会は、江田糾弾大会の状況を呈していたという。ついに3月26日、江田は社会党を離党。市川房枝の下でボランティアとして働いた経験のある菅直人、構造改革派の安東仁兵衛らと社会市民連合を結成した。当時、落選中の身だった江田三郎は同年6月の参院選に出馬の構えを見せたが、公示直前に死去。息子の江田五月が代わりとなって全国区から立候補し当選した。一方で参院地方区から立候補した9候補、参院選と同日選挙となった都議選に擁立した9候補は全員が落選する結果となった。
※この「社会市民連合」の解説は、「社会民主連合」の解説の一部です。
「社会市民連合」を含む「社会民主連合」の記事については、「社会民主連合」の概要を参照ください。
- 社会市民連合のページへのリンク