社会工学の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 06:36 UTC 版)
日本語における社会技術と社会工学は英語においてはsocial technologyとsocial engineeringとして、どちらの文脈でも互換的に用いられることが多い。ただし、「社会工学」という言葉は明らかに「社会(的)技術」より後に登場している。社会心理学、工学、社会学という複数の分野において「社会工学」という表現が登場するようになったのは1950年代初頭である。その後、1960年代半ばにシステム工学・政策科学の隆盛によって再び社会工学という表現が用いられるようになり、未来学ブームによって導入された多くの新語とともに、広く知られるようになった。 1960年代の社会工学は、ポパー(Karl Popper)の『歴史主義の貧困』(1960)によって、新たな展開を見せる。ポパーはここでsocial technologyとsocial engineeringという言葉を用いるが、ポパー自身、social engineeringという用語は法学者であったパウンド(Roscoe Pound)による1922年の著作に見られるが、それ以前に社会主義活動家のウェッブ夫妻(Sidney & Beatrice Webb)が用いていたようだとしている。パウンドの用法は「漸次的」の意味であると理解したポパーは、ハイエクの「自由のための計画」にも同様の性格を見出す。倉橋重史いわく、「マンハイムの社会的技術は計画の立て方、作り方、方法を全体社会の改善の目的を中心においたのにたいし、ポパーは手段としての制度に注目し、その制度のミクロ的な改善、運営の工学的方法に注目したといえよう」。 1960年代も中盤に差し掛かると、米国でのシステム工学の隆盛および政策的な問題意識の高まりから改めて社会工学という用語が登場し、日本でも大学における学科やシンクタンクなどの形を通して制度化され、概念が定着し始めた。1965年秋には日米の多彩な専門家が一堂に会し、「社会開発と技術」というテーマで議論を行っている。これは日本と米国は高度の工業化社会として共通の問題を抱えているため、ジョンソン大統領の掲げた「偉大な社会(Great Society)」という社会開発プログラムと、佐藤総理の唱えた「社会開発」は同一の発想から来ているのではないかという考えのもとで開催された会合であった。日米におけるこうした発想を実現する方法論として、social engineering(社会工学)という言葉が提出されたという。その後、1967年に東京大学教授の大島恵一を代表とする民主主義研究会がまとめた『社会工学』においても、米国からの強い影響について触れられている。そこでは、社会的問題へのシステム工学の応用は第二次世界大戦時にORなど軍事研究から始まったとされる。これが社会工学という名前が広く注目されるようになったのは、米国カリフォルニア州で犯罪防止、交通運輸、汚物処理、情報処理という4つの社会的問題に対して社会工学的立場からの解決方法を求めるための研究が実施されたことにあるという。米国のシンクタンクであり、システム分析の開発における総本山であったランド研究所のヘルマー(Olaf Helmer)も「オペレーションズ・リサーチの諸技術を利用しつつ、社会科学の分野における努力のある部分を社会工学(social technology)の方向に再組織することによって、われわれはかなり大きな成果をあげうると期待することができる」と述べている。 ヘルマーの著書を翻訳した香山健一はもともと活動家として知られていたが、60年安保闘争後に身を引き、清水幾太郎の主宰する現代思想研究会に拠る。そこで清水とともに関心を未来学へと移し、立場を旋回させた。清水は唯研の幹事、昭和研究会の文化委員を歴任しており、戦前からの技術論にも造詣が深かった。1965年、香山は1955年にイタリアで開かれた「自由の将来に関する世界知識人会議」で左右両翼を含む知識人と政治家が多数参加したことを取り上げている。そこで伝統的な争点が比較的重要性を失ったという事実が西欧社会におけるイデオロギーの終焉の傾向を象徴的に示しているとした。 社会改革や合理的な社会的行動の問題は、もはや神話的なイデオロギー上の二者択一の問題ではなくて、一定の「社会的技術[ソシアル・テクニーク]」の選択問題となったという事実をこの会議はあらためて示しだしたのであった。 香山は社会的技術の用語をダール(Robert A. Dahl)とリンドブロム(Charles E. Lindblom)の著作から引いている。彼らは「経済生活における合理的な社会行為、計画および改革への可能性——簡単 にいうと、問題解決への可能性——は、…主としていかなる特定の社会的技術を選択するかに依存する」として、社会技術の問題解決志向性を早くから掲げている。彼らはシュンペーター(Joseph A. Schumpeter)、ハイエク、マンハイムらの功績を認めつつも、これらは消滅しつつある「主義」の伝統に密接に関係していると指摘する。これに対するアプローチとして彼らが掲げるのは漸進主義(incrementalism)であり、ポパーの「漸次的社会工学」と多くの共通点を持っているという(p.25)。確かに試行錯誤によって徐々に社会の改善を目指すという点で両者は共通しているが、批判的ながらも合理性を墨守するポパーに対して、ダールとリンドブロムは政治学的な視点から非合理的なものの価値の重要性を認めており、その点で違いが見られる。後にリンドブロムは漸進主義を基に政策研究においてmuddling throughを導入し、政策過程における意思決定モデルと政策分析自体の二重の合理性を批判していく。 ダールとリンドブロムは社会技術とは何かについて著作では言明していないが、彼らの議論を引き継いだ香山は次のような定義を提示している。「社会的技術(social technology, social technique)とは、社会問題を解決するために利用される予測・計画・決定・制御などの技術である」。一定の社会的問題の解決に適用可能な社会的技術は、(1)各種の組織や制度に関連する制度的技術群と(2)政策的手法(たとえばオペレーションズ・リサーチ、計量経済学、シミュレーション、推測統計学など)に関する道具的技術群とに大別される。倉橋は、このうち、道具的技術群によって社会にアプローチする社会的技術を社会工学と見なす。
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