進歩党 (日本 1987-1993)
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進歩党 Progressive Party(PP) |
|
---|---|
代表 | 田川誠一 |
成立年月日 | 1987年1月22日 |
前身政党 | 新自由クラブ(一部) |
解散年月日 | 1993年8月2日 |
解散理由 | 代表の政界引退、党勢の衰退 |
後継政党 | なし |
本部所在地 |
〒105
東京都港区愛宕一丁目2番2号 |
政治的思想・立場 | 自由主義 自由保守主義、進歩主義 行政改革、国会改革 政治改革 |
進歩党(しんぽとう)は、かつて日本に存在した政党。
「真の民主政治と自由主義社会の実現を期すため、政権交代可能なもうひとつの政党を構築する」とうたう一方で、「憲法改正を党是とする政党と対決し、自由、人権、非核、軍縮を貫く護憲政党」と明確に自民党と一線を画した政党であった。また、党則では「党員規範」を新設し「選挙を通じての立身出世や一身の利害打算を優先することのない強固な信念と節操が求められる」など党員に求められる3条件を掲げた。[1]
概要
1987年(昭和62年)の新自由クラブ解散後、自由民主党に復党しなかった衆議院議員田川誠一が結成[2]。1993年(平成5年)に田川の政界引退に伴い解散した[2]。
沿革
- 1990年(平成2年)
地方組織
- 北海道、岩手県、宮城県、栃木県、群馬県、茨城県、東京都、千葉県、神奈川県、静岡県、愛知県、長野県、滋賀県、京都府、奈良県、大阪府、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、鹿児島県などで都道府県連組織や支部組織が結成されていた。しかし国会議員を当選させたのは神奈川県だけで、地方議員候補すら擁立できない組織が多かった。
他党との関係
- 社会民主連合と衆議院で統一会派「進歩民主連合」(1990~92年)を結成。所属議員は田川のほか江田五月、菅直人、阿部昭吾、楢崎弥之助。
- 日本労働党とは、主地盤が神奈川県であるという点や中国共産党との友好関係という共通性から交流があり、進歩党の党大会には日本労働党大隈鉄二議長が来賓で招かれて祝辞を述べた。
- 田川の後継者の永井英慈が日本新党公認で1993年(平成5年)の衆院選神奈川2区で当選しているが、永井の本拠は川崎市であり、小選挙区制で実施された第41回衆議院議員総選挙では神奈川県第10区から立候補したため、横須賀における田川の後継者は出なかった。
参院選比例区金銭疑惑
- 1989年(平成元年)の参院選比例区の名簿順位をめぐって、順位は候補陣営からの献金額で決まったのではないかという疑念が選挙後、党内に発生。1位指名を受けた候補・青木勝治が自ら党の会議で明らかにするに及んで党内は混乱し、真相究明を求める若手党員が政治団体「進歩党をまじめに考える会」を結成したり、田川らを東京地検特捜部に告発し、田川も告発した党員を誣告罪で逆告訴するという泥沼状態に陥った。このことで党勢拡大はストップし、党東京都連代表依田米秋ら離党者も相次いだ。そして田川の政界引退とともに党は解散するに至った。
- 東京地検特捜部を舞台にした告訴合戦は双方とも不起訴に終わった。「進歩党をまじめに考える会」機関紙の記事内容をめぐって横浜地方裁判所で続いていた同会代表の進歩党山口良樹県連合所属党員(当時26歳)[17]と進歩党所属鎌倉市議会議員助川邦男[18]の民事訴訟は、山口県連党員側が実質勝訴した。
役職
歴代の代表
代 | 代表 | 就任日 | 退任日 | |
---|---|---|---|---|
1 | 田川誠一 | ![]() |
1987年1月22日 | 1993年8月2日 |
党勢の推移
衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結党時) | 1/- | 512 | |
第39回総選挙 | 1/7 | 512 |
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結党時) | 0/- | - | 252 | |
第15回通常選挙 | 0/10 | 0 | 252 | |
第16回通常選挙 | 0/1 | 0 | 252 |
- (参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』岩波書店・岩波新書、2004年8月、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。
脚注
- ^ 毎日新聞1987年1月14日朝刊2面 非核貫く護憲政党 進歩党「理念」など決める
- ^ a b 「元新自由ク代表田川誠一氏死去」『日本経済新聞』2009年8月8日、14版、39面。
- ^ 「白河忠一」とも表記される。イズミヤ役員。当時、会社役員もこなしながら政党活動をしていた。
- ^ 東京都渋谷区議会議員で、区議会で監査委員・副議長を務めている。
- ^ 毎日新聞1987年1月23日朝刊2面
- ^ 「進歩党、岩手に初の県連」『朝日新聞縮刷版』1987年1月26日、朝刊2面。
- ^ 「進歩党の大阪府連が旗揚げ」『朝日新聞縮刷版』1987年2月2日、夕刊2面。
- ^ 松沢は松下政経塾出身。父親松沢一郎が田川支援者であった縁で新自由クラブから神奈川県議選挙を予定していたが、同党の解散と田川による進歩党結党を受けて同党推薦で立候補・当選した。平成3年の県議再選直後に自由民主党に入るも、平成5年(1993年)に新生党公認で衆議院議員(神奈川県第2区)に当選し、新進党を経て神奈川9区で再選し民主党に移った後、平成15年に神奈川県知事当選。2期目途中の平成23年に東京都知事転出を目論見辞任するも失敗し、その後平成25年にみんなの党公認で参議院議員に当選した(神奈川県選挙区)。その後、次世代の党幹事長になるも事実上解任され、参議院会派「参議院クラブ」代表を経て希望の党入党。現在、同党代表
- ^ その後1996年の総選挙で、菅直人の対立候補として自民党公認で出馬
- ^ 山崎は平成9年(1997年)に葛飾区議会議員に当選し、自民党会派に属した
- ^ 阿部は都議を1期務め、途中で自民党に移籍。落選後は太陽党→民主党と籍を移した
- ^ 元日本社会党所属の千葉県議、その後茨城県議選に出馬した経験もある
- ^ その後1993年に杉並区から都議に選出され(民主党)に所属。東京都議会議長を経て現在は杉並区長。
- ^ その後1996年の総選挙に新進党公認で出馬、後に都築譲陣営の選挙違反で逮捕される
- ^ なお、比例区では日本新党を支持
- ^ 田川の地盤を継いだ永井英慈は日本新党公認で立候補、当選した
- ^ 新自由クラブで当選した川合武や田川両衆議院秘書を務めた。1987年神奈川県議会議員選挙(横浜市磯子区選挙区)に進歩党推薦で立候補するも落選。のちに自由民主党衆議院神奈川13区総支部事務局長を経て、海老名市議会議員
- ^ 助川はその後、鎌倉市議会議長となるが、市の公務を無視して海外旅行に行っていたことが発覚し、辞任
関連項目
「進歩党 (日本 1987-1993)」の例文・使い方・用例・文例
- 進歩党
- 進歩党員
- 進歩党という政党
- 民主進歩党という政党
- (日本の)茶の湯; 茶会.
- (日本の)防衛庁.
- (日本の)大蔵省.
- (日本の)文部大臣.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- (日本の)中[高等]学校.
- (日本語のローマ字表記で)アポストロフィーという符号
- (日本神話で,)天上の神々がいる場所
- (日本歴史で)諸大名という国の一部を治めた大物
- (日本語で)合口音という長音
- (日本語の)五十音
- (日本刺繍の)刺し縫いという技法
- (日本料理で)三汁七菜という,本膳料理
- (日本から)唐の国へ渡る
- 行政改革の一環として,同庁は2003年4月に(日本)郵政公社となる。
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