流路と支流
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追良瀬川・概略図 日暮の滝 白滝沢 黒滝沢 ツツミの沢 サカサノ沢 追良瀬川 ウズライシの沢 ホノ沢 滝の沢 三の沢(シワラの沢) 五郎三郎の沢 ジャグの沢 二の沢(中の沢) 四十八滝の沢 一の沢(岳の沢) マツタノ沢(雪深の沢) 赤石ダムより 笹内堰堤へ 追良瀬川堰堤 栃木沢 追良瀬大橋 マスノキ沢 逆川 ウノ沢 エ沢 湯ノ沢 油子沢 センノ沢 濁水沢 コワシ沢 カラカワ沢 上切沢 岩火屋沢 下切沢 オサナメ沢 追良瀬橋 五能線 日本海 追良瀬川は白神山地の奥地から北流してくる。この一帯は古来マタギの土地とされ、支流にはマタギの言葉由来とされる名称がつけられている。 河口付近と一部を除き、川は深く狭いV字谷を流れている。川原もほとんどないため、川に沿った道もあまりない。一方、川の勾配そのものは小さく、白神岳の登頂や白神山地を越えるルートとして追良瀬川の沢を遡るコースが選ばれることがあり、小さな沢にもさまざまな言及がある。
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流路と支流
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蒲生川・概略図 河合谷高原 天神池 天神滝 県道31号 県道197号 長谷川 真名川 湯かむり大橋 瀬戸川 国道9号 宇治下の谷川 恩志橋 国道9号 県道37号 小田川 国道9号 山陰本線 山陰近畿自動車道 国道178号 県道27号 日比野川 沓井大橋 網代漁港 日本海 源流 蒲生川の水源は扇ノ山の標高900m付近に広がる河合谷高原の天神池である。扇ノ山は南北に長く峰を伸ばしていて、その稜線が鳥取県と兵庫県の県境になっている。北へ向かう稜線は牛ヶ峰山へと連なっていて、この間の東斜面一帯が河合谷高原である。河合谷高原は袋川の源流にもなっているほか、峰の反対側には兵庫県を流れる岸田川の源流がある。 池から発した流れは兵庫県との県境に沿ってしばらく北流する。このあたりは火山に由来する流紋岩や凝灰岩が急峻な地形をなしており、天神滝を含めて標高差300mあまりを一気に下る急流となる。 上流 「横尾の棚田」 3kmほどの間に標高差550mほどを一気に下ると、標高330m付近にある鳥越地区で人里に出る。川はこのあたりでやや緩やかになり、北西へ向きを変える。ここのあたりの上流域ではワサビ栽培が行われている。 まもなく横尾、蕪島、洗井地区に出て、川は再び北へ向きを変える。このあたり、標高230m付近の蒲生川両岸の斜面は大山噴火の際に生じた地すべりによって生じた傾斜面になっていて、江戸時代中期に拓かれた500枚の棚田が広がっている。全体で25haにおよぶ棚田は1999年に農林水産省が定めた日本の棚田百選に選ばれている。 このあたりは平家の落人伝承がある奥地だが、明治期に蒲生峠を越える国道9号線(旧道)が開通するとバスが通るようになった。しかし蒲生峠の険路は冬季の通行が困難で、1978(昭和53)年に蒲生トンネルが開通してそちらが本道になった。いまは旧国道である県道119号が蒲生峠へ向かうほか、十王峠を経て国府町方面へ向かう県道31号との分岐地になっている。 旧山陰道の古い時期の正確なルートについては諸説あって定まっておらず、蒲生峠を越えて横尾に入ったあと、十王峠を越えて雨滝方面へ向かっていたとする説もある。豊臣秀吉による鳥取攻略にあたっては、豊臣軍は蒲生峠から十王峠を経て侵攻したとする説があり、秀吉にまつわる伝承が近辺に残されている。 戦国時代末期に大いに栄えた銀山地区を流れる銀山川を合わせると、蒲生川は塩谷(しぼたん)地区で再び北西に転じ、南から法正寺川が合流するあたり一帯が蒲生地区となる。このあたりから谷が開け、谷底平野となる。付近はかつての旧山陰道・蒲生峠(因幡国と但馬国の国境)の真下にあたり、蒲生には江戸時代までは番所が置かれていた。いまの国道9号線は蒲生トンネルで峠を抜けてきて、ここからは蒲生川と並走している。 中流 右岸から白地川、長谷(ながたに)川を合わせると、蒲生川は西へ向きを変え、中流域に入る。大正末期から昭和初期にかけては、白地の対岸付近から中流の恩志まで、蒲生川の左岸を岩井軌道が走っていて、温泉客や銅鉱石を輸送していた。この軌道は相山でインクラインとの積み替え場があり、荒金鉱山まで続いていた。この相山地区には平経盛のものとされる墓がある。 真名川や瀬戸川などが集まるあたりには、岩井温泉の温泉町が形成されている。ここにはかつて岩井宿があり、岩井村の中心地だった。蒲生川の右岸には7世紀後半から平安時代のものとされる寺院の遺構(岩井廃寺)があり、国指定の史跡になっている。 温泉町付近に架かる「湯かむり大橋」はかつての旧山陰道・国道9号線で、いまは橋の周辺に親水地が設けられるなど、湯治客の散策路として整備されている。 温泉地を抜けると、川の両岸には標高100-150m程度の小起伏山地の山裾が迫り、蒲生川はその間を蛇行する。特に恩志付近では過去にたびたび大雨による増水で破堤し、周囲に浸水被害をもたらしている。 下流 新井地区で大きく蛇行しながら抜けると、下流域の沖積平野に出る。蒲生川はかつて新井から北へ向かっており、現在の岩美駅周辺をぬけて田後港のある浦富海岸へ流れていた。しかし河川争奪によって、今は小田川との合流して西へ向かい、網代漁港で日本海へ注いでいる。 網代漁港のある河口付近には三角州を塞ぐ形で大谷砂丘が発達していて、周囲には砂礫台地がある。現在の蒲生川と大岩駅のあいだの平野部はかつての潟湖がしだいに埋め立てられて後背湿地となり、江戸時代までは「大谷沢」と称する沼沢地だった。これが江戸期を通じて埋め立てられ、現在は水郷地帯となっている。 岩本地区から下流は網代漁港となっており、河岸には造船工場や水産加工場が並んでいる。
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