流路と支流とは? わかりやすく解説

流路と支流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/05 04:36 UTC 版)

追良瀬川」の記事における「流路と支流」の解説

追良瀬川概略図 日暮の滝 白滝黒滝沢 ツツミの沢 サカサノ沢 追良瀬川 ウズライシの沢 ホノ滝の沢 三の沢(シワラの沢) 五郎三郎の沢 ジャグの沢 二の沢(中の沢四十八滝の沢 一の沢(岳の沢) マツタノ沢(深の沢) 赤石ダムより 笹内堰堤追良瀬川堰堤 栃木沢 追良瀬大橋 マスノキ沢 逆川 ウノ沢 エ沢 湯ノ沢 油子沢 センノ沢 濁水コワシカラカワ沢 上切沢 岩火屋下切オサナメ沢 追良瀬 五能線 日本海 追良瀬川白神山地奥地から北流してくる。この一帯古来マタギ土地とされ、支流にはマタギ言葉由来とされる名称がつけられている。 河口付近一部除き、川は深く狭いV字谷流れている。川原ほとんどないため、川に沿った道もあまりない一方、川の勾配そのもの小さく白神岳登頂白神山地越えルートとして追良瀬川の沢を遡るコース選ばれることがあり、小さな沢にもさまざまな言及がある。

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流路と支流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 23:49 UTC 版)

蒲生川 (鳥取県)」の記事における「流路と支流」の解説

蒲生川概略図 河合谷高原 天神池 天神県道31県道197長谷川 真名川 湯かむり大橋 瀬戸川 国道9号 宇治下の谷川 恩志 国道9号 県道37号 小田川 国道9号 山陰本線 山陰近畿自動車道 国道178号 県道27日比野川 沓井大橋 網代漁港 日本海 源流 蒲生川水源扇ノ山標高900m付近に広がる河合谷高原天神池である。扇ノ山南北長く峰を伸ばしていて、その稜線鳥取県兵庫県県境になっている北へ向かう稜線牛ヶ峰山へと連なっていて、この間の東斜面一帯河合谷高原である。河合谷高原袋川源流にもなっているほか、峰の反対側には兵庫県流れ岸田川源流がある。 池から発した流れ兵庫県との県境沿ってしばらく北流する。このあたりは火山由来する流紋岩凝灰岩急峻な地形をなしており、天神滝を含めて標高300mあまりを一気に下る急流となる。 上流横尾棚田3kmほどの間に標高差550mほどを一気に下ると、標高330m付近にある鳥越地区人里に出る。川はこのあたりでやや緩やかになり、北西向き変える。ここのあたりの上流域はワサビ栽培が行われている。 まもなく横尾蕪島洗井地区出て、川は再び北へ向き変える。このあたり、標高230m付近蒲生川両岸斜面大山噴火の際に生じた地すべりによって生じた傾斜面になっていて、江戸時代中期に拓かれた500棚田広がっている。全体で25haにおよぶ棚田1999年農林水産省定めた日本の棚田百選選ばれている。 このあたりは平家の落人伝承がある奥地だが、明治期蒲生峠越え国道9号線旧道)開通するバスが通るようになった。しかし蒲生峠険路冬季通行が困難で、1978昭和53)年に蒲生トンネル開通してそちらが本道になった。いまは旧国道である県道119号蒲生峠へ向かうほか、十王峠を経て国府町方面へ向かう県道31号との分岐になっている。 旧山陰道の古い時期正確なルートについて諸説あって定まっておらず、蒲生峠越えて横尾入ったあと、十王峠を越えて雨滝方面向かってたとする説もある。豊臣秀吉による鳥取攻略にあたっては、豊臣軍蒲生峠から十王峠を経て侵攻したとする説があり、秀吉まつわる伝承近辺残されている。 戦国時代末期大い栄えた銀山地区流れ銀山川合わせると、蒲生川塩谷(しぼたん)地区で再び北西転じ、南から法正寺川が合流するあたり一帯蒲生地区となる。このあたりから谷が開け谷底平野となる。付近はかつての旧山陰道蒲生峠因幡国但馬国国境)の真下にあたり蒲生には江戸時代までは番所置かれていた。いまの国道9号線蒲生トンネルで峠を抜けてきて、ここから蒲生川並走している。 中流 右岸から白地川、長谷(ながたに)川を合わせると、蒲生川西へ向き変え中流域に入る。大正末期から昭和初期にかけては、白地対岸付近から中流恩志まで、蒲生川左岸岩井軌道走っていて、温泉客や銅鉱石輸送していた。この軌道相山インクラインとの積み替え場があり、荒金鉱山まで続いていた。この相山地区には平経盛のものとされる墓がある。 真名川瀬戸川などが集まるあたりには、岩井温泉温泉町形成されている。ここにはかつて岩井宿があり、岩井村中心地だった。蒲生川右岸には7世紀後半から平安時代のものとされる寺院の遺構岩井廃寺)があり、国指定史跡になっている温泉町付近に架かる湯かむり大橋」はかつての旧山陰道国道9号線で、いまは橋の周辺親水地が設けられるなど、湯治客の散策路として整備されている。 温泉地抜けると、川の両岸には標高100-150m程度の小起伏山地山裾迫り蒲生川その間蛇行する。特に恩志付近では過去にたびたび大雨による増水破堤し、周囲浸水被害もたらしている。 下流 新井地区大きく蛇行しながら抜けると、下流域沖積平野に出る。蒲生川はかつて新井から北へ向かっており、現在の岩美駅周辺をぬけて田後港のある浦富海岸流れていた。しかし河川争奪によって、今は小田川との合流して西へ向かい網代漁港日本海注いでいる。 網代漁港のある河口付近には三角州を塞ぐ形で大谷砂丘発達していて、周囲には砂礫台地がある。現在の蒲生川大岩駅のあいだの平野部はかつての潟湖がしだいに埋め立てられ後背湿地となり、江戸時代までは「大谷沢」と称する沼沢地だった。これが江戸期通じて埋め立てられ、現在は水郷地帯となっている。 岩本地区から下流網代漁港となっており、河岸には造船工場水産加工場並んでいる。

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