日本女子大学校時代とは? わかりやすく解説

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日本女子大学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:38 UTC 版)

宮沢トシ」の記事における「日本女子大学校時代」の解説

1915年4月トシ東京の日本女大学校家政学部予科1年生となり、学生寮「責善寮」で寄宿生活に入った。この進学は、父の女子教育への理解在学中叔母勧誘加え前記恋愛事件トシが「この苦し学校郷里からのがれ度い」(『自省録』)という意思抱いたこととの関連指摘されている(妹2人高等女学校最終学歴だった)。後述する近角常観の手紙(1915年5月29日付)には「とにかくあらゆる心配苦労を親にかけ、親を涙させるような事をして、三月の末、或る意味敗北者として、故郷離れのがれて参りました」という記述がある。 入学直後1915年4月には、父から紹介され浄土真宗僧侶近角常観に、「将来対す希望持てない」という倦怠感悩み伝え手紙送って面会し5月29日には面談読書(近角の著書)を経てもなお悩み脱しきれないことを改めて近角に書き送った後者の手紙で予告した5月30日トシは近角の元に赴いた推測されるが、以降訪問記録はない。一方でトシ日本女子大学校創立者成瀬仁蔵伝え理念共鳴していった。 当時日本女子大学校では、成瀬自身講義する実践倫理」の科目年間通じた全学年の必修とされ、寮生活などで瞑想黙想する時間設けられていた。成瀬クリスチャンではあったが、単一宗教宗派依存せずすべての宗教の「其の元に存するところの生命」「宇宙意志精神)」を学生伝え教育実施していた。トシは『自省録』において、在学中を含む「此の四五年来私にとって一番根本な生活のバネとなったものは『信仰求める』と云ふ事であつた」と記し成瀬による教育方針感化受けていたことが指摘されている。 1916年家政学部本科1年となったときに各学生決意言葉で示す「宣誓式」で、トシは「真実勇進」(真実為の勇進)という文字記したこの年7月来日したインド詩人ラビンドラナート・タゴール成瀬日本女子大学校招いて講演会開きトシもそれに参加した推測されている。また、病床にあった祖父喜助に対して、「死後の魂」の存在とそのためにいかに生きるべきかを説く内容の手紙を送っている。1916年12月学校提出した自己調書」には「徹底せずとは云え、信念生活を考え、行わんとすることによりて利己主義、又、怯懦なる習慣改められつつあり」という記述原文カタカナ歴史的仮名遣い)が見られる3年生1917年9月喜助死去しトシは「我を忘れて亡き祖父為にたとへ片時でも祈る事の出来た事は実に幸福であった」「人生問題の最も大きな一つたる死にまのあたり逢った思いがし、真剣になる事が出来た」と記した4年生となった1918年には6月頃に呼吸器系疾患休養していたことが手紙よりうかがわれるその後健康を回復して軽井沢毎年高学年対象開かれていた日本女子大学校夏期寮(成瀬自身参加成瀬参加この年最後となる)を受講1学期には寮の「主婦」(寮全体の生活を統括する係)も務めている。11月には流行中のスペインかぜ罹患したが、4日ほどの休養全快した手紙記している。この時期、賢治に送った手紙現存する唯一の賢治宛書簡)には、卒業論文相談や「天職」を見出したいといった将来についての意見見られる年末年始帰省せずに勉強する希望持っていたが父から帰省申しつけられた矢先12月20日東京帝国大学医科大学附属医院分院通称永楽病院)に入院する。母のイチと賢治が看病のために上京し、賢治は翌年3月まで下宿しながら看病をした。主治医二木謙三だった。病状当初チフス疑われたが、実際に風邪もしくは肺炎であった3月3日に母と賢治、叔母付き添われ花巻実家帰郷する入学以来トップ成績維持したことが評価され見込点で卒業認められた。卒業証書寮監3月29日花巻まで持参した

※この「日本女子大学校時代」の解説は、「宮沢トシ」の解説の一部です。
「日本女子大学校時代」を含む「宮沢トシ」の記事については、「宮沢トシ」の概要を参照ください。

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