日本史における日記とは? わかりやすく解説

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日本史における日記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:26 UTC 版)

日記」の記事における「日本史における日記」の解説

近代以前日本史料代表的なものとして挙げられるのが、古文書日記中心とする記録類である。 日本において記録に残る最古個人日記は、遣唐使として唐に渡った伊吉博徳よるもの『日本書紀』斉明天皇紀)とされる現象的には、六国史編纂絶えた10世紀以後に、朝廷政務や行事の儀式化進行し、それらを殿上日記外記日記などの公日記記録する一方、それらを上卿などの立場運営指導する廷臣皇族たちの間で、次第習慣化ていったものと考えられ初期のものとして、例えば、宇多醍醐・村3代の「三代御記」などの天皇日記重明親王の『吏部王記』などの皇族日記藤原忠平の『貞信公記』、藤原実頼の『清慎公記』、藤原師輔の『九暦』(九条殿御記)など上級貴族日記知られている。平安中期以降は、摂関家小野宮流勧修寺流藤原氏高棟流平氏などが代々多く日記残しており、本来儀式のためのメモであった実用品としての日記が、12世紀に入ると「家」の日記化(家記形成)し、さらに別の機能付加され中・下官人も含む多く貴族たちによって記されることになった考えられる中・下官人家柄代々当主家記所持する家を特に「日記の家」と称した(『今鏡』など。また、実際に天皇家摂関家にも「日記の家としての要素があった)。 今日伝わる公家日記書名多く没後に付けられたものであり、執筆者自身は「私記」(藤原実頼清慎公記』・藤原資房春記』など)や「暦記」(藤原実資小右記』など、具注暦日記記したことによる)などと呼ぶ例が多かった。自ら命名した日記の名称が後世に伝わるのは、後奈良天皇天聴集』や中院通秀塵芥記』など少数である。多く執筆者の諱の偏旁を採って重ねたり諡号官職姓氏居所やこれらを合わせたものが、後世の人によって命名された。1つ日記複数の名称が用いられる事例多く藤原実資日記は彼が「“小野宮家”の“右府右大臣)”」であったということから、『小右記』・『野府記』という名称が並存し、更に祖父・実頼の『清慎公記』の別称水心記』より、『続水心記』とも呼ばれている。また、平信範日記は、彼の諱の偏から採った『人車記』(信→人・範→車)と兵部卿官職と諱の一字組み合わせた兵範記』、更に「洞院地区名)に住む平氏」という意味の『平洞記』という呼称併称された。 当時、紙は貴重であったために、日記具注暦などの暦の余白裏側記載したり、反故になったの裏側を用いられた例(紙背文書)が多い。また、これを上手く利用したものとして、伏見宮貞成親王の『看聞日記』のように自らの和歌連歌書付の裏日記記して歌と日記両方保存図ろうとした例や万里小路時房の『建内記』のように出来事関連して遣り取りされた手紙文書の裏側にその出来事に関する日記綴った例もある。また、日記著者後日になって改め文書整理して清書した例(『後二条師通記』・『兵範記』など)もある。なお、子孫日記書写清書する例もあったが、その場合重要とは思われない部分省略される場合はあるものの、原文忠実に書写されることが多く写本間の異同大きくはない。また、著者あるいは子孫日記の内容検索するために目録作成したり、分野ごとに分けた部類」と呼ばれる別本作成することもある。なお、藤原実頼の『清慎公記』の「部類」を作成する際に孫の藤原公任原本切り貼りしてしまったために全巻紙屑化してしまうという出来事があり、従兄弟藤原実資激怒したという逸話がある。当時、「部類作成時には一旦写本作成して、その写本切り貼りするのが常識とされ、公任がそれに従わず原本破損させたために実資を激怒させたのであるが、実際に日記裁断され作られとみられる掛軸や帖(「古筆切」)も存在しており、その過程散逸した日記少なくなかったとされている。 平安時代には公家と深いつながりのあった僧侶日記登場し中世に入ると寺社日記発生するうになる寺院日記としては『東寺執行日記』・『大乗院寺社雑事記』・『多聞院日記』、神社日記としては『鶴岡社務日記』・『春日社記録』・『祇園執行日記』などがある。更に鎌倉時代には武家日記出現し『吾妻鏡』近年では御家人などの日記集成して作った記録集であった考えられている。武家日記公家僧侶それよりも伝わる数は少ないものの、室町時代蜷川親元親元日記』や相良正任『正任記』、大館尚氏大館常興日記』、戦国時代から江戸時代初期にかけての上井覚兼『上井覚兼日帳』や梅津政景梅津政景日記』など優れた日記伝わっている。 江戸時代に入ると、学者庶民商人名主など)の間にも日記を書く風習広まり武家日記とともに多く残されるようになった1895年10月博文館懐中日記を、1896年当用日記発売した

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