日本の軍犬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:03 UTC 版)
近代日本では秋田犬やテリアが訓練されたこともあったが、主流はジャーマン・シェパードだった。日本で近代以前に犬を武力として用いた例は知られていないが、奇策として畑時能らがスパイ代わりに犬を用いた逸話、太田資正らが伝令代わりに犬を用いた逸話が伝わっている。 近代以降において、大日本帝国陸軍では日清戦争、日露戦争にて警備犬としての犬の運用が少数みられ、1910年(明治43年)には台湾の高砂族の武装蜂起に際して探索犬として警察犬の供給を受け運用した記録が残るが、組織としての軍犬の本格的な運用は、第一次世界大戦以降、日本国内にジャーマンシェパードの移入が行われて以降である。陸軍歩兵学校内に軍犬育成所が置かれ、シェパードを中心にドーベルマンやエアデール・テリアも用いた軍用犬の育成が行われた。1928年(昭和3年)には民間団体として日本シェパード犬倶楽部(現・日本シェパード犬登録協会)が発足し、軍や警察へのシェパードの供給が行われるようになり、1933年(昭和8年)には軍用犬の受け入れ窓口として社団法人帝国軍用犬協会(現・日本警察犬協会)も発足した。満州事変で死んだ那智・金剛に初の軍用犬功労章甲号が授与された。 こうした民間からの供給経路を経て育成された陸軍の軍用犬は満州事変以降、伝令犬や警備犬として中国戦線で顕著な活躍を見せ、人間の兵士同様に犬の出征壮行が行われる例も見られるようになる。1939年には、「軍用犬の出征」というタイトルの子供向きニュース映画も朝日新聞社により製作された。満州国の成立以降は関東軍も軍犬育成所を満州国領内に設立して最盛期には3500頭以上の軍用犬を飼育、同時期に大日本帝国海軍も警備犬として軍用犬の導入を開始した。しかし、太平洋戦争以降は連合軍側の軍用犬戦術が向上した事もあり、次第に日本側の軍用犬の活躍は見られなくなっていった。沖縄戦でも日本兵と共に多くの軍用犬が戦い、その殆どがパートナーの兵士(ドッグハンドラー(英語版)[要リンク修正])共々戦死している。日本の軍用犬は勇敢であったが近代兵器の攻撃には余りにも無力であり、皮肉にもこの事実がアメリカ軍を始めとする近代的な軍隊から攻撃犬(英語版)としての軍用犬の運用を排除する契機にもなった。 同時期、日本国内でも1944年(昭和19年)より犬猫献納運動により種別を問わず多くの犬や猫が皮革を得る材料として屠殺され、結果として日本軍の軍用犬の供給経路も消滅する事となった。前線の軍用犬も敗走の際の飢餓により、軍馬と共に友軍兵の手で食料として屠殺される例が少なくなく、敗戦後も多くの日本軍犬は復員船で帰還する事も叶わず、そのまま戦地に遺棄される事となった。不利な戦況の中、無血撤退に成功し奇跡とも讃えられるキスカ島撤退作戦でも、軍犬が置き去りにされている。日本軍の武装解除に当たっては各種の軍用動物も重要な鹵獲対象として位置付けられ、軍馬などは中国軍(国民革命軍、八路軍)に引き渡されて運用が続けられる例もあったが、軍用犬の場合は新しい主人に懐かないなどの問題からその場で敵軍に殺害される例も少なくなく、エアデール・テリアがイギリス軍に整然と引き渡された僅かな成功例が残る程度で、結局日本国内に無事に帰還出来た軍用犬は僅か数頭に過ぎなかったという(帰還できた犬は1匹もいないとされることもある)。靖国神社にはこうした戦地に斃れた軍用犬を祀る軍犬慰霊像が建立されており、例年3月20日の動物愛護の日に軍犬慰霊祭が行われていたが、2012年以降は軍馬や軍鳩との合同での慰霊祭が、例年4月7日の愛馬の日に行われるようになった。 その一方で、国内に残された訓練中の犬も日本軍の解体により行き場を失い、戦後の食糧不足の中、口減らしの為に殺処分されたり(食料となる前提で)市場に放出されるなどして、多くは悲惨な末路を辿っていったとされており、日本シェパード犬協会の理事であった中島基熊は、戦時中の軍の威を借りた横暴な振る舞いに加え、終戦直後の犬に対する劣悪極まりない仕打ちを忘れたかのように(日本警察向けの警察犬、極東米軍や東南アジアに於ける西側同盟国軍向けの)軍用犬供給に邁進する連合国軍占領下の日本におけるブリーダーや関連団体に対して「軍犬報国の看板を警察犬に塗り替えただけの人間は、慰霊祭を行って犬に詫びるべきだ」という主旨の痛烈な批判文を残している。 1950年(昭和25年)、警察予備隊の発足と共に、旧日本軍の運用体制を参考に警備犬としての軍用犬の供給・運用が再開され、保安隊での保安犬を経て陸上自衛隊でも昭和30年代後半まで警備犬の運用が行われていたが、現在では廃止されている。一方、海上自衛隊では警備犬(けいびけん)、航空自衛隊では歩哨犬(ほしょうけん)という名称で現在も採用している(2013年(平成25年)10月1日にこちらも「警備犬」に改称)。 海上自衛隊の警備犬の中には災害救助犬の検定に合格している犬が二頭おり東日本大震災において災害出動を果たしている。そのうちの一頭、海上自衛隊呉造修補給所貯油所の警備犬の金剛丸(ジャーマンシェパード・雄)は、生存者捜索に従事し、帰還後に体調を崩して2011年8月9日に4歳4ヶ月で肺炎で死亡した。
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