日本の軍事教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:19 UTC 版)
日本のアカデミズムは特殊な事情もあり、軍事学を学術的な領域として容認していない。これには西洋に古典的な軍事研究があった一方で日本の軍事学は近世以降にようやく発展し、また近代において西洋から来た軍事学によって断絶しているため、一般的な教養としての性格を得ることができなかったことなどが影響していると思われる。そのため日本において教養人、インテリゲンチャの証明とは軍事に無知であることであり、軍事学について博識な人間、あるいは軍事的な専門性を習得した人間は視野狭窄で無知蒙昧な「軍国主義者」「右翼」であるという偏見があった。これは敗戦によって始まったものではなく、大正の頃から既に存在していた風潮であった。佐々木邦の『珍太郎日記』では軍隊での生活を取り上げて「子供の時の単純な頭脳を大人になっても持ち続けるやうでなくては軍人は決して勤まらない」などと述べている。また戦後において丸山真男は日本を戦争に導いたのは軍事に精通して右傾化していた「擬似インテリゲンチャ」または「亜インテリゲンチャ」であると述べている。日本以外の国では軍事学の講義が行われている一般の大学があるが、日本で軍事学講義を開講している一般の大学は殆どない。防衛大学校の授業では防衛学の講義が行われている。
※この「日本の軍事教育」の解説は、「軍事学」の解説の一部です。
「日本の軍事教育」を含む「軍事学」の記事については、「軍事学」の概要を参照ください。
- 日本の軍事教育のページへのリンク