日本の軍学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:24 UTC 版)
古くからの武士やその子弟に対する教育を別とすれば、陸軍の学校は1868年(明治元年)旧暦7月、京都府に兵学校が置かれたのが始まりである。この場合の「兵」は兵士のことではなく軍事(兵学)を意味し、将校と下士官を養成した。翌年、兵学校は兵学所と改称したのち大阪府玉造に移され、さらに兵学寮となり士官生徒を教育する青年舎と幼年生徒を教育する幼年舎にわけられた。1872年(明治5年)、兵学寮は東京府に移転し、1874年(明治7年)8月に独立して陸軍士官学校となった。 海軍は1869年(明治2年)旧暦9月、兵部省が東京府築地に海軍操練所を置き海軍修業生を教育した。海軍操練所は翌年、海軍兵学寮と改称され、さらに1876年(明治9年)8月、海軍兵学校となった。以後、陸海軍ともに多くの学校を設置して教育と研究を行った。陸海軍の学校は学費が不要であり、かつ生徒には手当金が毎月支給されるため、資産を持たない家の子弟にとっては経済的な負担なく高等官である陸軍将校、海軍士官、あるいは判任官である下士官という官吏になる方法のひとつでもあった。 1945年(昭和20年)の第二次世界大戦(太平洋戦争)敗戦による旧陸海軍の廃止以来、日本には軍隊がなく厳然たる軍学校も存在しない。しかし、公式には軍隊とされない自衛隊をめぐり国内外で多様な解釈がある。なお、自衛隊の学校は存在する(自衛隊の学校等一覧も参照)。
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