新生UWF、インディーズの台頭と中継の転機とは? わかりやすく解説

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新生UWF、インディーズの台頭と中継の転機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:03 UTC 版)

プロレス中継」の記事における「新生UWF、インディーズの台頭と中継の転機」の解説

1988年一度崩壊したUWF2年ブランク置いて再び発足通称新生UWF)。所属選手達は2年間、新日本出戻っており、衝撃的な試合披露したことで、UWFスタイル格闘技注目されていた。そのため、旗揚げ戦のチケット数十分で完売。月1回しか興行打たないものの、その興行収入スポンサー収入団体資金は十分賄えており、テレビ中継無かった1989年には東京ドーム興行を打つまでになった。このことがプロレス団体にとってテレビ放映権料頼らずとも団体運営可能なことを見せ付ける大きな結果となった。そのUWFも後に、創成期BS放送チャンネルWOWOWとの間で、独占中継契約の締結成功したが、中継開始直前内部不協和音から団体崩壊。しかし、3つ分裂した後継団体含め、これらの事項により「非TV中継」、「主要キー局以外との放送契約」という、プロレス界・格闘技界に新たな一ページを刻むことになった因みにWOWOWは、前田後継団体リングス」と契約し2002年まで中継放送続けたほか、WOWOWリングスキラーコンテンツとしてアピールしていたことから、リングス側も世界規模ネットワーク構想等を形にすることが出来、後のHERO'Sの礎につながってゆくこととなった)。 1990年代になると、世間では既にバブル崩壊へ向かっていたが、プロレス界のバブルはこの時代から隆盛迎えることとなった。まず全日本から二枚看板一人天龍源一郎引き抜かれメガネスーパースポンサーとなって設立されSWSは、その資金力バックに、それまでプロレス界では考えられなかった演出高額年俸などで話題となった。このSWS旗揚げ戦はテレビ東京ゴールデン枠放送され木村匡也ディスクジョッキー風に実況展開するという一風変わった中継行っていた(同局団体後期についても、月一限定半年間中継を放送した)。これらの演出当時、「派手」「時代先取りしすぎ」との批判多く、またSWS自体一部マスコミから「金権プロレス」などと大々的叩かれ結局内部闘争などもあり呆気なく団体崩壊憂き目になってしまうこととなった一時第三勢力とも見られ新生UWFSWSがあっさりと崩壊していくなか、意外な健闘見せたのが、「馬場の方」でも「猪木の方」でもないインディペンデント、即ちインディーズ団体である。その最大団体が、1989年誕生したFMWであった全日本プロレス引退後フリーランスレスラーとして細々活動していた大仁田厚設立したこの団体は、新生UWFの逆方向行きそれまで日本プロレス団体では憚られた電流爆破などの過激なデスマッチ売り物にした。同時に俺たちはこんな生き方しか出来ない、それでも俺たちプロレスやりたい」といった、弱小であるがゆえの一生懸命さを訴えかけることで、ファンハート掴んでいった。こうしたインディーズ団体は、規模知名度マイナーさ(および放送躊躇うほどの過激さ)などから定期的なテレビ中継はおろかテレビで取り上げることさえも難しいものがあったが、一方で今までにない形式興味呼びいわゆる口コミ」などで確実に固定客獲得していく。FMW場合中継がないのを補うかのように大仁田一般メディアテレビバラエティ番組積極的に登場し、顔を売りまくったのも大きかった。その甲斐あってFMW川崎球場などの大会場での興行を行うまでに成長、そして大仁田は、一般知名度だけなら、馬場猪木肩を並べるくらいになっていた(一般メディア数多く露出して知名度高めるという手法は、新生UWF当時前田日明が既に試みていたものだったが、大仁田ほどに媒体選ばず際限なく露出することはなかった)。 新生UWFによって切り崩された「テレビ中継不可欠」というある種法則は、FMW成功覆される形となり、そうした成功例刺激されテレビ中継頼らない団体経営が当たり前の様に行われるようになったかくして以降は、小規模な団体旗揚げしては崩壊旗揚げしては崩壊繰り返すこととなっていく。 (因みに中継」という形ではないが、1990年代中期テレビ東京スポーツニュース番組激生!スポーツTODAY」では、週1回「バトルウィークリー」というコーナー設けていた。独占契約のあるメジャー団体除いたプロレス界や格闘技界の1週間動きを追うというもので、ここでもインディーズ団体積極的に取り上げていた。) 一方メジャー団体新日本全日本テレビ主導ではない、現場主導全盛期迎えていた。既に両団体共に放送深夜移っており、視聴率放映権料などの面で全盛期後塵を拝する態とはなっていたが、新日本闘魂三銃士活躍により東京ドーム始めとする全国ドーム会場大会開き、常に5万人以上の観客動員集めるようになり、全日本馬場堅実経営もあってドーム会場での興行控えたものの、プロレス四天王空前人気獲得しており、年間7回開催日本武道館大会全て超満員札止め記録するようになっていた。また通常のプロレス中継こそ深夜帯であったが、1990年代新日本ドーム大会などはスペシャル番組としてゴールデン枠放送されており、特に小川直也vs橋本真也一戦は、「橋本真也負けたら即引退」等の煽り文句を付けるなど、賛否を呼ぶ内容ではあったが、視聴率25%獲得するほどであり、数字だけ見れば1980年代黄金時代以来注目度となった。しかし深夜帯レギュラー放送は、1994年4月から全日本プロレス放送時間1時間から30分に短縮されて「全日本プロレス中継30」となるなど、目に見え冷遇されていくようになるそんななか最大インディーズ団体FMW」は、大仁田退団によりエンタメ路線への大幅な軌道修正行ったこともあり、1998年より当時日本で展開を始めたばかりのCS放送チャンネルディレクTVと「3年3億円」の放映契約締結横浜アリーナ等の大規模会場興行を行うほか、AV女優までリング上げてしまうという、まさにショープロレス路線突き進んだが、ファン支持を得ることが出来ず迷走が始まる。迷走歯止めかからず2000年ディレクTVSKY PerfecTV!事実上統合されると、放映権料大幅に下落団体倒産し荒井昌一社長自殺するという最悪の結末迎えた

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