新生FMWとは? わかりやすく解説

新生FMW

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:26 UTC 版)

フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」の記事における「新生FMW」の解説

大仁田引退後社長退任しFMW無関係になった。新たに運営会社設立され社長に旗揚げ当時リングアナウンサーで、関連子会社FMWクリエイティブ」の取締役広報部長だった荒井昌一就任した。この時営業高橋英樹部長荒井昌一どちらか新社長にしようとし高橋はすぐに断り荒井が手を挙げた新会社割合は、大仁田53%、荒井47%だった。「大仁田がいなければFMWは3ヶ月で潰れる」というような声をよそに大仁田引退後FMW持ちこたえた1995年5月28日後楽園ホール大会皮切りにハヤブサ中心に金村ゆきひろ田中正人工藤めぐみザ・グラジエーターらの若い力リング活力らせ、大仁田体制胡散臭さ怪しさを押し出したスタイルとは異なる、後にハードコアスタイルと呼ばれる激し戦いが高い支持得たハヤブサが腕を負傷して半年間の欠場の間も金田中のライバルストーリーがファン支持得てリング上のパワー落ちなかった。1996年5月5日ハヤブサ&田中組テリー・ファンク&ポーゴ組をメインイベント川崎球場大会のビッグマッチを成功。 しかし、もう1度スポットライト浴びたいと願う大仁田復帰画策。ポーゴを引退させてポーゴの最後の願いとして大仁田とのタッグ結成ファン乞うというアングルで、1996年12月11日駒沢オリンピック公園体育館大会で強引に復帰この頃からハヤブサ、金田中若い世代期待する路線創始者大仁田への回帰路線という2つ方向性リング上に生まれてFMW混乱し始めた大仁田が突然、ZENという団体団体旗揚げしたのも、2つ方向性両立させようとする当時FMWフロント苦心結果である。また経営陣大仁田の間には大仁田給料巡って金銭トラブル多発していたとされるこの頃WAR退団した冬木弘道邪道外道参戦して雁之助らとユニット「チーム・ノーリスペクト」を結成してFMW歴史上でも最も存在感大きなヒールになった。 なお荒井体制の新生FMWは登記上「エンターテイメントプロレスリングFMW」とされており大仁田体制の「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」とは別会社扱いとなっている。

※この「新生FMW」の解説は、「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」の解説の一部です。
「新生FMW」を含む「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」の記事については、「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」の概要を参照ください。

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