新港埠頭の造成と横浜周辺の鉄道網の拡張再編とは? わかりやすく解説

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新港埠頭の造成と横浜周辺の鉄道網の拡張・再編

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:06 UTC 版)

高島線」の記事における「新港埠頭の造成と横浜周辺の鉄道網の拡張・再編」の解説

西波止場大桟橋・東波止場によりひとまず対外貿易港の役割果たしていた横浜港であったが、これだけでは艀を経由した荷扱い解消するには至らずさらなる拡張を必要としていた。そのため、西波止場よりさらに西側埋め立て行って新港埠頭増設する工事1899年明治32年5月から着手した海岸で艀扱いをしていた業者要望などもあり、陸続き埋め立てを行う計画変更して島とすることになり、また凸状から凹状形状変更して岸壁増大を図る設計変更などを行って1914年大正3年)に完成した新港埠頭造成合わせて埠頭乗り入れる臨港鉄道建設工事進められた。この臨港鉄道初代横浜駅桜木町駅)から延長する形で工事が行われ、従来海岸付近への艀の出入り利便図って大岡川河口沖合2つ細長い人工島造成してその間で結ぶ形とされた。この各横浜駅側から一号橋梁 - 港三号橋梁となっており、港一号橋梁1907年明治40年アメリカン・ブリッジ100フィートトラスプレートガーダー橋組み合わせ、港二号橋梁は港一号橋梁と同じアメリカン・ブリッジ100フィートトラスで、港三号橋梁1909年明治42年川崎造船所30フィートプレートガーダーであった。この経路鉄道廃止後、遊歩道整備され汽車道として現存するこのうち港三号橋梁については、生糸検査所引き込み線使われていた大岡橋梁1874年ごろイギリス製の63フィートポニーワーレントラス短縮したものを、従来プレートガーダー橋の脇に移設保存してある。 この新港埠頭への臨港線通称税関線ぜいかんせん)と呼ばれ複線建設された。全長は約0.8 kmであったが、後に横浜港駅開設された際には東横浜駅との距離は1.6マイル/2.5 kmとされている。新港埠頭内では各埠頭倉庫の前まで引き込み線伸ばされていた。1910年明治43年8月一通り工事完成した初め臨港線実際に利用されたのは、台風によって東海道本線不通になったことにより、名古屋清水から臨時手配した船舶横浜港新港埠頭まで運航した時に仮設した横浜埠頭の駅から横浜駅まで乗客輸送した際で、1910年明治43年8月15日のことであった。しかし、実際に貨物輸送供用されるには時間がかかり、1911年明治44年2月輸入豆粕の、5月輸出輸送試験行った上で9月1日横浜港荷扱所設置されて、一般に供用開始された。初日輸送は、製紙原料ウッドパルプ30トン機械14トンであったその後1912年大正元年)に新港埠頭から本土へ新港橋梁けて、横浜税関のところまでこの路線延長された。この新港橋梁1912年浦賀船渠100フィートポニーワーレントラスで、大蔵省臨時建築部設計したという珍しい鉄道橋である。 しかしこの新港埠頭への臨港線大きな問題抱えていた。貨物列車運行には貨車入換作業つきものであるが、新港埠頭内には入換のための操車場建設する余地がなかったのであるこのため入換横浜駅において実施することとされたが、実際に横浜駅にも入換設備増設する余裕はなかった。このため折から進められていた東海道本線線路改良計画合わせて高島町入換設備持った駅を設置することになった。 この時代までの東海道本線は、新橋方面から来た列車現在の桜木町駅にあたる初代横浜駅まで乗り入れた上で、そこで折り返して程ヶ谷駅(現・保土ケ谷駅方面へ向かうスイッチバック構造になっていた。しかしこれに伴う運転上の手間大きなものであったため、通し運転ができるようにする改良工事計画され2代目横浜駅建設始められた。まず、初代横浜駅から本線線路沿って貨物線敷かれ高島荷扱所まで1913年大正2年6月2日開通した続いて2代目横浜駅1915年大正4年8月15日開業し初代横浜駅桜木町駅改称したその後桜木町駅までの電車の運転の準備進み1915年大正4年12月30日旅客用の駅を桜木町駅貨物用の駅を東横浜駅として分離したこの際高島荷扱所を高島駅とし、高島程ヶ谷を結ぶ複線貨物線開通したこの程ヶ谷と結ぶ貨物線は、横浜桜木町を結ぶ電車用の線路をオーバークロスする関係で2代目横浜駅駅舎前を高架横切っており、せっかくの格式ある駅舎景観損なっていた。また高島 - 東横浜間が複線化され、初代横浜駅構内にあった横浜機関庫高島移転して高島機関庫となった。この高島機関庫が、臨港線機関車運用の要となった。 さらに鶴見から高島を結ぶ路線建設工事進められ1917年大正6年6月17日鶴見 - 高島4.1マイル複線開通した。この路線先の横浜鉄道海陸連絡線平面交差しており、交差地点海神奈川信号扱所設置された。また東神奈川高島を結ぶ連絡線同時に開通し横浜線からの貨物列車高島駅乗り入れられるようになった。ただし、東神奈川から高島への線は構内西側つながっていて東横浜・横浜港方面への線路とは直接つながっておらず、行き来には転線作業を行う必要があった。また、この東神奈川 - 高島間の支線上の駅として東高島駅1924年大正13年10月1日開設された。こうして鶴見から程ヶ谷まで旅客貨物別線になり、改良工事完成した新しく設置され高島駅臨港線貨車入換作業となり、新港埠頭海陸連絡設備完成することになった。 こうしてひとまず完成した横浜臨港鉄道網は、折から第一次世界大戦とその戦後貿易量の増大によって活況呈したこれに伴い1919年大正8年)には東横浜駅改良工事実施されている。1920年大正9年7月23日に、横浜港荷扱所正式に駅となり、横浜港駅となった新港埠頭4号岸壁の脇に島式ホーム設置され日本郵船および東洋汽船サンフランシスコ航路出航日に合わせて乗船客および見送り客を運ぶ旅客列車ボート・トレイン」が運転されるようになり、限定的ではあるが旅客扱いをも行うようになった1921年8月1日ダイヤ改正による時刻東京9時15分 - 横浜港10時10分(第151列車)、横浜港12時35分 - 東京1330分(第152列車)、東京12時35分 - 横浜港1330分(第153列車)、横浜港15時25分 - 東京16時20分(第154列車)で、前の2列車東洋汽船の、後の2列車日本郵船便に接続し途中停車駅新橋品川大森であった

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