新正統主義
![]() | この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2012年6月) |
新正統主義(しんせいとうしゅぎ、英語: Neo-orthodoxy)は、16世紀の宗教改革の強調点を新しく捉え直そうとする20世紀の神学の流れに対して、アングロアメリカの神学界が与えた名称。内在主義と楽観主義が強い19世紀の自由主義神学に対抗して、神の超越性、人間の罪性、神の恵みのみによる救いなどを、従来の宗教改革的な正統主義ではなく、啓蒙主義以降の近代的視点から捉えなおそうとした。弁証法神学とも呼ばれる。
新正統主義の広がり
20世紀のスイスのカール・バルト、エミール・ブルンナー、フリードリヒ・ゴーガルテン、エードゥアルト・トゥルンアイゼンなどを中心としてヨーロッパで始まり、スウェーデンのグスターフ・アウレン、スカンジナビアのアンダース・ニーグレン、イギリスのドッド、リチャードスン、ベイリ、ホフキンズ、アメリカのラインホルド・ニーバーなどに国際的に広がっていった。
バルトたちの新正統主義
バルトの特徴は「神の言葉の神学」と呼ばれる神学にある[1]。バルトは、誤りだらけの人間のことばに過ぎない聖書が、神との出会いの契機において、神のことばと見なされるときがあるとし、聖書の客観的な権威を認めない。新正統主義の聖書観は、断続的神言化説と呼ばれる。バルトは、自由主義神学(リベラル神学)に欠陥があるとしたが、聖書についてリベラル派の高等批評を受け入れていた[2][3]。 正統主義では、聖書を神の言葉と信じるが、それに対して新正統主義は聖書そのものの霊感を認めず、聖書は神のあかしであるという[4]。また新正統主義の神学者ブルンナーは、正統主義の聖書観を「紙の教皇」(Paper Pope)と呼んで否定した。
日本の新正統主義
日本のエキュメニカル派の神学には、バルトの弁証法神学が強く影響を及ぼしており、植村正久の後継者である高倉徳太郎がその備えをしたとされる。高倉はバルト以前のバルトと呼ばれるピーター・フォーサイスの影響を受け、1924年に東京神学社でバルトとブルンナーを紹介した。バルトは世界像、人間観、歴史的、宗教的、神学的矛盾、文化的制約において、聖書が誤っていると主張した。[5][6]
高倉徳太郎の神学は、バルト主義者の桑田秀延、熊野義孝、山本和が継承し、日本で発展した。戦後のプロテスタント神学は「バルトの刻印」を帯びていると評される。この系統を日本において代表する神学校は、日本基督教団の東京神学大学であり、桑田秀延、北森嘉蔵、竹森満佐一らを輩出している。[7]
保守派による批判
コーネリウス・ヴァン・ティルは、バルトの聖書観では、神そのものと、福音の真理を知ることができないと批判している[5]。改革派の神学者K・ルニアは、1971年に来日して「神の言葉としての聖書」と題する講演を行い、福音派の信じる聖書の霊感と、新正統主義の霊感理解とを区別した[8][9]。
脚注
- ^ アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』
- ^ 尾山令仁『聖書の教理』羊群社
- ^ 尾山令仁『聖書の権威』羊群社
- ^ 内田和彦『神の言葉である聖書』近代文芸社
- ^ a b 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社
- ^ 宇田進『現代福音主義神学』いのちのことば社
- ^ ケアンズ『基督教全史』いのちのことば社
- ^ 『福音主義神学』2
- ^ 『日本開国とプロテスタント宣教150年』第5回日本伝道会議いのちのことば社
参考文献
新正統主義神学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:42 UTC 版)
「ラインホルド・ニーバー」の記事における「新正統主義神学」の解説
1939年、ニーバーは、自身ののこれまでの神学的な遍歴を以下のように説明した。 「 ……おおよそベルサイユの平和[1919]からミュンヘンの平和[1938]の間、聖職者として歩んできた道の中ほど当たりで、西洋の歴史の言葉で評価すれば、私はかなり徹底的な思想の転向(conversion)を経験することになった。その転向は、1915年に(聖職へと)乗り出した時、私が携えていた自由主義的な神学の概念のほとんど全てを拒絶することを意味していた。私は本を書いた、[『文明は宗教を必要とするか?』]、それは1927年であり、私にとって初めての本であり、それは今日、私が剣を突き出している想像上の敵をほとんど全て含んでいる。これらの想像上の敵は、これからすぐに倒れるに違いない。なぜなら続いて書かれた各々の本の中では、普通、自由主義的な文化と呼ぶものに対するさらなる反抗がはっきりと表明されているから。 」 1930年代において、罪と恩寵、愛と正義、信仰と理性、現実主義と理想主義、歴史の皮肉と悲劇について、ニーバーは、多くの概念・思想を作り上げた。そして、それは、神学の 新正統主義における彼のリーダーシップを揺るぎないものにした。カール・バルトや他の弁証法的神学者の強い影響を受けて、聖書が、神自身の啓示(self-revelation)についての人間の記録であることを強調し始めた。それは、危機的なしかし救いともなりえる、人間の本性と運命についての悟り(reorientation)をニーバーにもたらした。 ニーバーはその思想をキリスト中心的な理念の中に表現した。キリスト中心的な理念とは、最も重要な掟(Great Commandment)と原罪についての教理である。彼の主要な提案は、根源的な悪として、利己的な自己中心性をもつ傲慢(pride)の罪を、社会的な事象として捉えようとしたことである。傲慢の罪は、単に犯罪の中にだけ見出されるものではなくて、むしろ、もっと危険なことに、自己の行為に満足してしまっているような人々のうちに見出されるものである。例えばヘンリー・フォードのように(彼は決して名前を挙げて言及しなかったが)。善良な人々を堕落させがちな人間な傾向は、ニーバーが得た、優れた洞察であった。この傾向は、政府や、ビジネス、民主主義、空想的な社会、教会など、社会の色々なところではっきりと見ることができる。彼の著作の中でもっとも影響力の大きいものの1つである、1932年『道徳的な人間と非道徳的な社会』において、この立場は、思慮深く表明されている。独善的思い違いを避けることをニーバーはその思想の中心に据え、偽善や見せかけの告発者であった。独善的に聖書の戒律を守ろうと宗教に接近することは、不可能というだけでなく人間の原罪の実証でもある、とニーバーは主張する。その試みは自己愛として解釈される。自己愛を通じて、人間は自己の善良さに着目するようになり、「自己の善良さを<独力で>得ることができる」という誤った結論に飛躍する。このような誤りをニーバーは、「プロメテウス的思い違い」と呼ぶ。それ故に、自己を超越するには不完全なはずの能力を、自身の生命や世界を超えて自己の絶対的権威を証明する能力であると、人間は誤解するのである。絶えず、自然の設ける限界によって苛立たされている人間は、彼と、彼の全ての世界を破壊する力に対する渇望を増大させる。歴史とは、人間が自らが自身にもたらした危機と審判の記録である。それは、神が人間に彼の可能性を踏み越えることを許してはいないということの証明となる。「プロメテウス的思い違い」とは対照的に、自己神格化に打ち勝ち、建設的な人間の歴史を可能とする自己犠牲的な愛を、神は歴史の中に示す。特にイエス・キリストおいて、具現化されたように。
※この「新正統主義神学」の解説は、「ラインホルド・ニーバー」の解説の一部です。
「新正統主義神学」を含む「ラインホルド・ニーバー」の記事については、「ラインホルド・ニーバー」の概要を参照ください。
新正統主義神学と同じ種類の言葉
- 新正統主義神学のページへのリンク