カール・ヴィスロフとは? わかりやすく解説

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カール・ヴィスロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 01:32 UTC 版)

カール・フレドリック・ヴィスロフ
人物情報
生誕 (1908-12-03) 1908年12月3日
 ノルウェー ドランメン
死没 2004年6月25日(2004-06-25)(95歳没)
出身校 オスロ独立神学校
学問
研究分野 神学
研究機関 オスロ独立神学校
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カール・フレドリック・ヴィスロフ[1]ノルウェー語: Carl Fredrik Wisløff1908年12月3日 - 2004年6月25日)は、ノルウェールター派神学者である。

経歴

1908年、ノルウェーのドランメンで生まれ、サルプスボルグで育った。ヨーロッパで新正統主義神学が台頭してきた時代にあって、オスロ独立神学校でオーレ・ハレスビーやオラフ・ムーの元で神学を修め、牧師職についた。

第二次世界大戦中はナチス・ドイツに抵抗して牧師職を追われた。戦後母校のオスロ独立神学校に迎えられて、実践神学教授になり、実践神学と牧会史を担当した。さらに、教会史教授になり、特にマルティン・ルターの研究に取り組み、「聖餐論」によって世界に知られた。

国際福音主義学生連盟やヨーロッパ福音主義学生連盟の指導して、福音派の指導者として高い評価を受けた。1971年には、アムステルダム世界伝道会議でビリー・グラハムと共に講演をした。

家族・親族

  • 従兄弟:ハンス・エワワルド・ヴィスロフ(Hans Edvard Wisløff)も神学者、著述家。

著作

  • 『キリスト教教理入門』(1966年)
  • 『説教のこころ』(1978年)
  • 『マルティン・ルターの神学』(1984年)

参考文献

脚注

  1. ^ 「カール・F・ヴィスレフ」とも日本語表記されている。



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