文学の役割——社会的、宗教的、教育的
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「古代エジプト文学」の記事における「文学の役割——社会的、宗教的、教育的」の解説
古代エジプトの歴史を通じ、読み書きは公職に就くための主要な必要条件であったが、政府高官は日常業務で選良の補佐を受けていた。ラムセス時代の第1アナスタシ・パピルス(英語版)からも明らかなように、ウィルソンによれば、書記官は「〔……〕湖の掘削や煉瓦の傾斜路の建設を準備したり、オベリスクを輸送するのに必要な人員を決定したり、軍事活動の補給を手配したり」といった仕事までをも期待されていた。政府による雇用の他に、手紙の下書き、販売報告、法的文書の作成などといった書記官の業務は文盲の民間人からもしばしば求められていたであろう。識字率は人口のわずか1%に過ぎなかったと考えられている。残りの99%は文盲の農夫、牧夫、職人、その他の労働者、並びに書記の補佐を必要とする商人たちなどであった。肉体労働者に対する書記官の特権的地位はラムセス時代の教育的テクストの一般的な主題であり、『職業の風刺(英語版)』(『ドゥアケティの教訓』とも)では例えば陶工、漁師、洗濯夫、兵士などの卑しく望ましからぬ職業が嘲笑され、書記官の職業が賛美されている。 書記官階級は文学的古典を維持、継承、正典化し、また新しい作品を書く務めを負う社会集団であった。『シヌヘの物語』や『アメンエムハト一世の教訓(英語版)』のような古典作品は、筆記の教育上の訓練として、また書記官階級として要求される倫理・道徳的価値を植え付けるためとして生徒たちによって筆写が行われた。「教育」ジャンルの知恵文学が中王国時代にオストラコンに書かれた教育的テクストの大半を占める。『シヌヘの物語』や『ネフェルカラー王とサセネット将軍(英語版)』[訳語疑問点]のような物語は、新王国になるまでは学校での練習として筆写されることはほとんどなかった。ウィリアム・ケリー・シンプソンは『シヌヘの物語』や『難破した水夫の物語』のような物語を「物語の形を取った教訓や教育」であると説明している。こうした物語の主人公は、家を愛することや自立することなどといった当時受け入れられていた美徳を体現しているのである。 書記官の職業外でも読み書きができ、古典文学に接していた例もいくつか知られている。第20王朝時代にデイル・エル・メディーナで働く製図工であったメネナは中王国の物語『雄弁な農夫(英語版)』と『難破した水夫の物語(英語版)』の数節を反抗的な息子に説教をする手紙の中で引用している。メネマの(ラムセス時代の)同時代人で、第1アナスタシ・パピルス(英語版)内の風刺的手紙の作者であった書記官ホリは、書記官でない、中途半端にしか教育を受けていない人間による似つかわしからぬやり方で『ハルドジェデフの教訓(英語版)』を引用したことで受取人を戒めている。ハンス=ヴェルナー・フィッシャー=エルフェルト(ドイツ語版)はこの素人による正統文学への侮辱と受け取られているものをさらにこう説明している—— ラムセス時代の書記官の一部が自身の大なり小なりの古代文学の知識を示さねばならないと感じており、そのようにしてなされたホリによる攻撃は、これらの敬うべき諸作品は十全な形で知られるべきであり、過去から通俗的な格言を意図的に切り出す石切場のようなものとして不正に用いられてはならないという考えを明らかにしている。当時の古典は、引用する前に完全に記憶し十全に理解されねばならなかったのである。 テクストを聴衆に向け音読することが行われていたという、少数だが確かな証拠がエジプト文学とエジプト美術に残されている。口頭のパフォーマンスを意味する言葉「朗読」(šdj)は、伝記、手紙、呪文に結び付けられるのが通例であった。「歌唱」(ḥsj)は、頌歌、恋愛詩、葬礼のラメント、およびある種の呪文に用いられた。『ネフェルティの予言(英語版)』のような講話文は選良たちの集まりで朗読されることを意図されていたと推測される。紀元前1千年紀の、ペティエゼ(英語版)の功績を中心としたデモティックによる短篇物語群(英語版)[訳語疑問点]では、各物語は「ファラオを前にした声」というフレーズで始まっており、このことは朗読者と聴衆がテクストを読む場に関与していたことを示唆している。一部のテクストでは政府高官や王宮の人々が架空の聴衆として言及されているが、より広い、文盲の聴衆たちもまた存在していたものであろう。センウセレト1世(治世:紀元前1971-1926年)の墓石では、集まって墓碑銘を「朗唱」する書記官に耳を傾ける人々について明確に言及している。 文学はまた宗教的な目的にも奉仕した。古王国のピラミッド・テクストに始まり、墓の壁や後には石棺(英語版)に書かれた葬礼文学、墓に納められた『死者の書』、などは死者の魂を護り、来世での糧となるよう作られていた。魔術的な呪文、文句、叙情的讃歌などの使用も含まれていた。王家以外の墓から発見された、葬礼に関係しない文学テクストの写しの存在は、死者が来世でそうした教訓テクストや物語を楽しむのだと考えられていたことを推測させる。 文学の創造の大部分は男性の書記官の仕事であったが、女性によって書かれたのであろうと考えられている作品も存在する。手紙を書く女性への言及が複数存在し、また女性が送りもしくは受け取った私的な手紙も発見されている。しかしながらエドワード・F・ウェンテ(英語版)は、手紙を読む女性に関する明確な言及が存在していても、女性が他の誰かを雇って文書を書かせた可能性があると主張している。
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