文学の純粋性への希求
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1943年(昭和18年)4月8日の日本文学報国会において、石川達三が、国策協力の線に沿って作品活動しなければならないと発言したこと対し、蓮田は、「自分は賛成できない」と石川を一喝し、『古事記』にある須佐之男命のように「青山は枯山と哭き枯らす」ほど壮大な文学、喚び泣きの文学、慟哭の文学を我々は創造しなければならないと力説したと伊藤佐喜雄は回想している。この石川批判の発言により、蓮田は「神がかり」の冠称を付けて呼ばれるようになった。 松本健一は、蓮田が『青春の詩宗――大津皇子論』で、〈今日死ぬことが自分の文化であると知つてゐるかの如くである〉、〈死ぬことが今日の自分の文化だと知つてゐる〉と、自分の運命を感受した大津皇子の精神を説いていることに触れ、それは同じく蓮田が説いた『大伴家持論』で説く〈精神的個我〉の精神と相通じるものであるとし、大勢に同調するような「便乗文学」や「便乗思想」に対して蓮田は批判的であったと解説している。 また松本健一は、蓮田が射殺の標的にしたのは、中条豊馬隊長という人間個人ではなく、中条隊長に象徴される効率的な判断、敗戦後の変わり身の早い変節、寝返りに対するアンチテーゼ的な意味合いであるとし、どちらが善でどちらが悪かといった見方は無意味であり、そこに「美」と「政治」の二者の「根源的対立」の意味を見るべきだと考察している。 さらに、蓮田が絶対純粋性を求めていたことを物語るエピソードがあり、戦争で報道班員として重巡洋艦「鳥海」に 派遣されていた丹羽文雄が海戦の最中、弾が飛んでくる最中でも懸命にメモを取り、戦闘の様子を描いた『海戦』を発表した時、蓮田は、〈本当の戦争〉を見ろと丹羽を非難し、以下のような問題を提起した。 丹羽は戦ふべきだつた。弾丸運びをすればよかつたのである。弾丸運びをしたために戦闘の観察や文学が中絶してしまふと考えることも誤りである。弾丸運びをしたために或る場面を見失ふだらう、しかしもし弾丸運びをしたとしたら、そこに見たものこそ、本当の戦争だつたのである。 — 蓮田善明「文学古意」 これは、丹羽文雄が忠実に任務を遂行し記録係をしていたわけで、そのために丹羽は名誉の負傷までしていた。しかし蓮田はその丹羽に対し、何故その時おまえは弾運びを手伝わないのかと問いかけた。 この蓮田の丹羽批判について三島由紀夫は、「本当に文学というものは客観主義に徹することができるだろうか、文学者はそういうときにキャメラであるのか、単なる〈もの〉を記録する技術者であるのか、あるいは文学とはそういうときにメモをとることをやめて弾を運ぶことであるか」という「極限状況」における「比喩」として「文学の問題」を蓮田が質問しているのだとし、中村光夫も、蓮田の丹羽批判には全面賛成していないが、蓮田の提起を、非常に大事な「文学の本質論」だと捉えている。 三島は、自身の文学観念に忠実だった丹羽の「シンセリティーを微塵も疑わない」としつつも、総力戦というものは「人間をあらゆるフィールドにおいて機能化してゆくもの」であり、「大砲を撃つ人は大砲、報道班員は文章によって記録あるいは報道し、あるいは軍宣伝のために利用され」、丹羽は近代的総力戦においての任務を果たしているが、「文学というものは絶対そういう機能になりえないもの」だということを信じたいとし、それを証明するためには、蓮田の言うように、その時にメモを取ることを止め、いかに軍人の邪魔になろうとも弾運びをしろ、という結論になると、蓮田の含意を解説している。 そして、蓮田の丹羽批判は、現代の技術社会における文学の立ち位置にも関係する問題であり、文学が、テレビと同じように大衆の求める娯楽の機能になること、「技術的によくできたおもしろい小説」や「中間小説化」し、文学が「しらずしらず」に社会の要求する一つの機能となる「文学の機能化」、「芸術至上主義が機能化する惨状」が起こり、この危険を回避するためには、「あるとき自分の機能から絶対に離れたところ」で行動してみる必要性があると三島は説明し、蓮田が比喩した〈弾丸運び〉だけが、「文学」だという状況が来るかもしれないと、真の純粋な「文学」がなすべきことについて考察している。
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