幻の改造案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:39 UTC 版)
実現する事無く終わった扶桑型の改造案は大きく分けて二つ存在していた事が確認されており、一つはワシントン条約中の大正11年に平賀譲より提案された扶桑級改造案。残る一つは1942年(昭和17年)5月に行われた珊瑚海海戦にて空母祥鳳を失い、更に6月のミッドウェー海戦にて空母4隻を失った連合艦隊が既存巡洋艦、戦艦の航空母艦への改装を研究・計画した際に考え出された航空母艦or航空戦艦への改造案であった。 今日平賀文書に残る扶桑級改造案はA案、B案、最終案と見られる案の三つに分かれている事が確認できる。 A案 水平防御の強化として新たに開発されたNVNC甲鈑を従来の中甲板に25mm〜101mm追加。 水雷防御として隔壁を新設しバルジを設け、艦幅をそれに伴い0,9m増加させる。 罐の一部を油専焼罐として罐室一つを廃止する。 電線通路を中甲板下に移す。 砲塔天蓋を152mmに改造する。 A案は上記のように水平・水中防御の強化に主眼が置かれており、この改装によって重量は3,500t増し、速力は0.5kt低下し22ktとなる代わりに、バルジを追加する事で浮力を確保し喫水の沈下は防げるとされていた。また、この改装に掛かる費用は砲塔天蓋の改造費が64万円、船体・甲鉄費用は460万円と試算されており砲塔天蓋の防御を完全なものとする為には下部甲鈑の増加も必要である為、更に重量が330t増加し費用も43万円程増えるとされていた。 B案 14インチ砲を取り外し16インチ砲連装2基、3連装2基の計10門へと換装する。 専燃(油)罐室を第4砲塔の位置に新設し、10,000馬力の罐を2個設置し混燃罐室2つを廃止する。 前部煙突を撤去し後部煙突を移設する。 B案はA案とは違い主砲の換装と機関の改修が中心とされており、この改装で増加する重量は700tとなり費用は260万とされていた。尚、前述のA案の内砲塔天蓋の改造を除いた上で、A案・B案の両方の改造を実施した場合は増加重量4,500tとなり費用は700万円となると試算されており、この場合でも新たに浮防材を設ける事で喫水の増減は無いままに改造が出来るとしていた。また、米14インチ砲艦が16インチ砲艦へと改造する事が困難であるのに対して扶桑型は僅かな重量増加で16インチ砲10門の艦へと変更する事が出来、砲塔外面を多少改造する必要はあるものの然程大きな問題は無いともしており、扶桑型を16インチ8門の艦にするのならば更に容易に改造が可能だと主張されている。しかし、その一方で既成艦に対しては一切何らの制限を為さざるを利とするとも述べられており、次期条約で既成艦についての制限が無い事を前提とした改造案であった事が窺える。 以上がA案B案であるが、平賀文書には極秘と平賀の印が押されたもう一つの改造案が残っており、その案では 下甲板(中央部機械室、罐室、弾火薬庫上)に101mmの甲鈑(NVNC甲鈑45kg、HT鋼27kg)を追加。 後部甲板上のフラットに110mm、スロープに152mmの甲鈑を追加。 水雷防御隔壁を設ける。(機械室・罐室上部側に121mm・下部75mm、弾火薬庫側に103mm) 砲塔甲鉄を305mmに改装する。 約1.2mの浮防材を設ける。 中央部・後部の水中発射管を水上に移設。 中央部舷側甲鈑を傾斜式とする 最後の案ではA案同様に水平・水中防御に加えて垂直防御の強化についても考慮されており、この改造によって増加する重量は4,000tと成り改造費用は640万円と試算されていたが、この案でも喫水の増加は無い物とされていた。また、扶桑型改造案の中には改造後の扶桑型の断面図も書かれており、そこでは従来の石炭庫を改造し空所と防御隔壁を新たに設けるという加賀型に準ずる水雷防御構造へと変更する予定であった事が示されている。 扶桑型の航空母艦への改造が検討されたのは前述の通り損失した空母の穴を埋めるために全ての巡洋艦・戦艦についての研究が行われた際の計画であり、各艦の改造に関しては下記のような研究結果が出されていた。 巡洋艦青葉型・川内型 - 最大幅過少の為空母への改装は不適当。 最上型・利根型 - 飛行甲板195m幅23.5m、搭載機数30機、改装予測期間9カ月以内。 妙高型・鳥海型 - 飛行甲板200m幅23.5m、搭載機数30機、改装予測期間9カ月以内。 巡洋戦艦金剛型 - 飛行甲板220m幅34m、搭載機数54機、改装予測期間1.5年以内。 戦艦日向型・山城型 - 飛行甲板210m幅34m、搭載機数54機 改装予想期間1.5年以内。 長門型 - 金剛型に同じ。 この調査研究の結果、金剛型を航空母艦へと改装する事は工事量が莫大なものとなり工期も長期に及ぶ事になるため、改装の意義が無いと判断されたが、伊勢型については砲塔を一部撤去して航空戦艦としての工事が可能と確認されたため航空戦艦への改装の実施が決定される事となった。 伊勢型の改装実施が決定された背景には 新造艦の工事中止によって手空きとなった大口径関係造修部門の応援が見込まれた。 日向が射撃訓練中に第五砲塔の爆発事故によって既に第五砲塔を撤去した状態となっていた。 新型の艦載機十三試艦爆(彗星)を試作中であった事。 上記3点がその背景としてあったためとされる。 また、軍令部の要望としては主砲は6門残せばよく、副砲を撤去し高角砲と機銃による対空兵装を強化し、なるべく多数の航空機を搭載する事であったとされる。伊勢型の具体的な航空戦艦への改装は第五、六砲塔を撤去しその跡に航空艤装を設ける事とし、後檣付近から後部の上甲板にかけて高さ6m、幅前部29m・後部13m、長さ70mの飛行機射出甲板を設け甲板上の両舷に射出機各一基を装備し、後檣から後方の上甲板と射出甲板の間に全閉鎖型の格納庫を設けると計画された。この他に、航空機用の軽質油タンクは第六砲塔跡に設けその容量は111m3、76tとされ、第五砲塔火薬庫跡に全機3回出撃分の爆弾庫を設け爆弾は50番44個、25番22個を搭載する事となった。当初搭載機は十三試艦爆を射出可能なように補強を施した上で搭載するとされていたが、後に常用機は一四試水爆撃機に改められこれを射出甲板上に11機、射出機上に各1機、格納庫に9機の合計22機を搭載し、射出間隔は各射出機につき30秒に1機とし、交互に15秒ごとに1機を射出する事で5分程度で全機の射出を可能とする計算となっていた。また、副砲を撤去し12.7cm連装高角砲4基を増設しただけでなく従来の4基にもそれぞれ高射装置を装備した上で一群4門、4群の高角砲対空兵装とした。これに加えて、機銃の増設も行っており従来の25mm連装10基を三連装に改め更に9基の増設が行われる事となった。 扶桑、山城についても伊勢型の改装完了後に扶桑は呉、山城は横須賀で改造する事を訓令済みとなっていたが、1943年(昭和18年)6月に改造工事着手は取り止められる事となり、扶桑型の航空戦艦への改装は実現せずに終わった。扶桑型の航空戦艦への改造は伊勢型よりも改造工事が複雑であり手間がかかる物であったとされており、当初は6カ月で完成させる予定であったものが1944年(昭和19年)春頃には4ヶ月で完成させるという線表が組まれていたとされる。
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