幻の改訳聖書
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1888年(明治21年)に明治元訳聖書が刊行されから、改訳を求める声が絶えなかった。そこで、警醒社がスポンサーになり、聖書の改訳を試みた。1905年(明治38年)5月11日東京基督教青年会館で改訳のための最初の会合が開かれ内村に植村正久と小崎弘道を加えた当時のキリスト教界の著名人と、新進気鋭の聖書学者の柏井園を加えた4名が集まった。そして、翌週5月18日から毎週1回の毎週木曜日に集まり明治元訳聖書の改訂作業をすることになった。最初に『ヨハネ伝』から改訳事業を始めた。7月6日には『ヨハネ伝』の3章まで進んだが、内村が業同作業に不満を覚えて、辞意を表明する。翌週7月13日の会合の次から夏休みになる。夏休み明けて9月14日に再開するが、小崎が渡米していたので、日本にいた内村と植村と柏井の3人で会合を持つ。しかし、内村は、11月6日付けで植村に脱退の手紙を送る。翌1月10日に改めて内村は、3人に病気を理由に辞退届を送り事実上改訳会は空中分解した。
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