幻の改訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 08:38 UTC 版)
欽定訳聖書が1885年に改訂されて以来、日本語訳でも改定の声が高まっていた。改訳の試みとして、警醒社がスポンサーになり、1905年(明治38年)に、聖書の改訳を試みたことがある。1905年5月11日東京基督教青年会館で改訳のための最初の会合が開かれ、内村鑑三、植村正久、小崎弘道のキリスト教会の重鎮と、新進気鋭の聖書学者柏井園を加えた4名が集まった。警醒社は改訳の期間として3年館を想定して毎月150円の経費負担を約束した。そして、翌週5月18日から毎週木曜日に集まり、ヨハネ伝から改訳事業を始めた。7月6日には業同作業に不満を覚えた内村が辞意を表明する。翌週7月13日から夏休みになり、9月14日に再開するが、小崎が渡米中で、内村、植村、柏井の3人で会合を持つが、11月6日付けで内村が植村に脱退の手紙を送り、翌1月10日に改めて3人に病気を理由に辞退届を送り、事実上改訳会は解散した。
※この「幻の改訳」の解説は、「大正改訳聖書」の解説の一部です。
「幻の改訳」を含む「大正改訳聖書」の記事については、「大正改訳聖書」の概要を参照ください。
- 幻の改訳のページへのリンク