航空戦艦への改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 17:38 UTC 版)
ミッドウェー海戦で主力空母4隻を喪失した日本海軍は、空母の数を揃える必要にせまられた。軍令部は旧式の扶桑型戦艦と伊勢型戦艦の空母改造を検討し、日向が砲塔爆発事故を起こして五番砲塔を失っていたことから改装の手間が省けると判断、伊勢と日向の航空戦艦への改装を決定した。伊勢の工事は呉工廠で1942年(昭和17年)12月に始まり、1943年(昭和18年)9月に完了した。 航空戦艦となった伊勢の最初の任務は、トラック島へ物資を輸送することだった。伊勢は戦艦山城、軽巡洋艦龍田、第32駆逐隊(早波、涼波、藤波)と共に「甲支隊T3号輸送部隊」として第十一水雷戦隊(司令官:木村進少将)指揮下に入り、陸軍兵士(伊勢は1278名)と物資、さらに戦艦長門と扶桑用の三式弾を搭載すると、10月15日に日本を出発した。この時、伊勢には大和型戦艦武蔵の46 cm砲弾も積載されたという。20日、トラック着。補給作業終了後の31日、戦艦山城、空母隼鷹・大鷹、重巡利根(機関故障中)、軽巡龍田、第24駆逐隊《海風、涼風》、第17駆逐隊《谷風》、第7駆逐隊《曙》と共にトラックを出港。11月5日朝に隼鷹が豊後水道で待ち伏せていたアメリカの潜水艦ハリバットから雷撃され、魚雷1本を艦尾に被雷、直進不能となるハプニングもあったが、11月6日に呉に帰還した。 その後も艦載機を搭載することができないまま第十一水雷戦隊に所属し、呉で練習艦としての日々を送った。1944年(昭和19年)5月1日、伊勢と日向は第四航空戦隊(戦隊旗艦日向、戦隊司令官松田千秋少将)を編成した。両艦には第六三四航空隊を搭載することが決まり、定数は伊勢:瑞雲水上偵察機14、彗星艦上爆撃機8、日向:瑞雲8、彗星14となる。伊勢は5月31日、日向は6月7日より、機銃を増設するため呉工廠にて入渠する。6月20日完成を予定して工事中、アメリカ第5艦隊がマリアナ方面に襲来し、迎撃に向かった日本第一機動艦隊との間にマリアナ沖海戦が発生した。伊勢は急遽工事を中断して出撃準備を急いだものの、本海戦には間に合わなかった。6月23日、実際に瑞雲、彗星を搭載して射出訓練を行う。9月30日、12cm28連装噴進砲6基を増備した。
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