低温物理学
低温物理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:45 UTC 版)
「ジェイムズ・デュワー」の記事における「低温物理学」の解説
1877年に王立研究所に移ったデュワーは、ここで低温物理学、特に気体の液化とその低温物性の研究を行った。この年、フランスのカイユテとスイスのピクテがそれぞれ独立に別の手法を用いて窒素と酸素の液化に成功していた。デュワーは翌年には酸素の液化に成功し、王立協会の金曜講演で実演した。また1885年までには大量の液体酸素を製造できるようにし、1891年、液体の酸素やオゾンが磁性を持つことを発見した。 デュワーは、「膨張させた気体は温度が下がる」というジュール=トムソン効果を利用して気体を冷却する技術を開発した。これを用いて、1895年に微量ながら水素を液化することに成功した。彼は設備を大型なものにし、1898年には液体水素を大量に製造できるようにしてその屈折率を調べ、さらに翌年-259℃という低温で水素の凝固にも成功した。 デュワーによる水素の液化によって、気体液化の競争は最後のひとつヘリウムを残すのみとなっていた。デュワーはヘリウムの液化を目指したが、不純物のネオンが先に凍結して装置をつまらせてしまい、不成功に終わった。ヘリウムの液化は1908年にオランダのカメルリング・オネスが同じくジュール=トムソン効果を利用して成功した。 デュワーは、低温での化学反応、物性、燐光などを研究した。たとえば、フッ素以外のほとんどの化学反応が低温では不活発になること、羽毛のような物質は低温で燐光を発することなどを発見した。また1892年から1895年にかけてはロンドン大学のフレミングと共同で200°Cから-200°Cの範囲で電気抵抗を調査し、これが絶対零度近くで0になるだろうと予言した。これもヘイケ・カメルリング・オネスによって1911年に発見され、超伝導と呼ばれるようになった。 1892年、研究の合間にデュワーは魔法瓶(デュワー瓶)を発明した。これは二重壁の内壁と外壁の間を真空にして伝導と対流を防ぐというものである。当初これはガラスで作られており、1904年に2人のドイツ人ガラス職人が商品化に成功し、公募した「テルモス(ギリシア語で「熱」「熱い」を意味する)」の商標で発売した。製作や取り扱いのためには金属製のものが望まれていたが、金属では表面に吸収されていた空気が放出されるため製造することができなかった。1905年、デュワーはココナッツの殻の炭を-185℃に冷やしたところ、それが真空度を上げる吸着剤として利用できることを発見し、さらに内部を銀メッキして放射を防ぐことを考案した。これは極低温の液体を長く保管できるため、自身の研究に大きく貢献することになった。
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