事態の推移
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昭和4年ごろに日本でアンゴラウサギを飼育していたのは、子安農園のほか、志保井ローヤルアンゴラ兎研究所、大江田中アンゴラ商会、個人で少数飼育している者など限られていたため、数少ないアンゴラウサギをめぐって価格は高騰した。子ウサギは40 - 70円、親ウサギは200 - 300円が相場だった。子ウサギの40円でも米が6 - 7俵買える金額であり、親ウサギの200円は高額だったが、子どもが生まれればすぐに元が取れると考えて購入する者が多かった。 流行の拡大とともに繁殖も無計画に行われるようになり、国内のアンゴラウサギの質は低下していった。さらに「アンゴラ屋」の増加によって国内のアンゴラウサギだけでは需要が満たせなくなると、海外からの輸入も盛んに行われるようになった。最初はカナダに安いアンゴラウサギがいるという情報を聞きつけた業者によって、カナダ系アンゴラが輸入された。毎月、バンクーバーから横浜へ船が着くごとに、200 - 300匹のアンゴラウサギが運び出され、「外国産アンゴラ」と宣伝して販売された。カナダ系アンゴラが珍しくなくなると、日本ではイギリス系アンゴラ(ローヤルアンゴラ種)が有名だったため、イギリスから輸入されたアンゴラウサギが「英国直輸入ローヤルアンゴラ」と銘打って販売された。「外国産」も「英国直輸入」も珍しくなくなると、今度は「血統書」で差別化を図り、商品価値を高めようとした。また、日本でアンゴラウサギが高く売れるという噂は海外にも伝わり、カナダ、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの種兎場の中にはカタログや写真を送って売り込んでくる所もあった。 しかし、何れも時間の経過とともにウサギの質は落ちていった。最初は一等品とされるウサギが輸入されていたが、すぐにアンゴラウサギであれば何でもよいといった状態となり、海外では種兎として通用しない二等品、三等品のウサギが輸入され、高値で売られるようになった。この間の事情については、昭和6年7月22日付のバンクーバー領事の報告書「アンゴラ兎の値段及同毛需要状況」に詳細が記されている。血統書も当てにならなくなり、5円出せば横文字の血統書を何枚でも発行してくれる「親切な人」が横浜や神戸にいるという噂もあった。 悪質な「アンゴラ屋」も増えていき、長毛の雑種をアンゴラウサギと偽って売る者、国内で生まれたウサギを「外国産」と称して売る者、前述したように「血統書」を偽造する者も現れた。素人にウサギの良し悪しなどわかるはずもなく騙される者が多かった。特に名古屋では悪質な業者による被害が多く、業者の間では明治期に輸入されたアンゴラウサギの血を引く「ムク」と呼ばれていた毛の長いウサギの雑種を「ダンゴラ」、アンゴラウサギと他品種との雑種を「ハンゴラ」と呼び、それらがアンゴラウサギとして高値で売られた。。 意図したことでは無かったとはいえ、結果的に流行の口火を切った形となった子安農園では早くからこの状況を危惧しており、昭和5年11月発行の家畜研究会機関誌「家畜」の巻頭に「アンゴラ養兎の投機視を戒む」という記事を掲載して過度な流行に一石を投じたが、これによって業者の間でひんしゅくを買うことになった。
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事態の推移
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「血の日曜日事件 (リトアニア)」の記事における「事態の推移」の解説
1991年1月12日(土曜日)の夜、ソ連軍部隊の戦車がヴィリニュスの重要拠点の占拠に向かった。これに対してリトアニアの市民は最高会議の建物やテレビ塔の周りに集まり、人間の盾を作った。戦車がテレビ塔に到着した後、13日早朝にソ連兵がテレビ塔を守ろうとしていた非武装の民間人に発砲。13人が殺害され、ほかに現場に居合わせた1人が心臓発作を起こして死亡した。そのほか、一部のソ連兵が同じソ連兵に発砲し、兵士1人が死亡した。
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事態の推移
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「2010年キルギス騒乱」の記事における「事態の推移」の解説
ローザ・オトゥンバエヴァは、英国放送協会に対し、新しい国防相、内相を任命したとし、ロイター通信に「今後半年間で憲法を起草し、自由・公正な選挙の条件を整える」と述べた。オトゥンバエヴァは2005年、アスカル・アカエフ大統領(当時)による選挙不正を訴える抗議行動をクルマンベク・バキエフとともに主導し、政権交代後は外相代行になったが、バキエフの強権政治を批判して政権から離れていた。 臨時政府には、ほかにオムルベク・テケバエフ元国会議長、野党「アクシュムカル」(白鷹)のテミール・サリエフ党首ら14人で合流した。野党勢力はマナスにあるアメリカ軍基地の撤退を求めており、今後は親露路線を取ると見られる。ロシアのウラジーミル・プーチン首相は「バキエフ大統領は、5年前の『チューリップ革命』で追い出された前大統領と同じ誤りをした」と批判した。 今後はオトゥンバエヴァ元外相を軸に新政権作りが進むとみられるが、バキエフ大統領の辞任が確定していないうえ、野党も一枚岩ではないことから、政権樹立の行方は混沌としている。 オトゥンバエヴァは、ビシュケクを脱出したバキエフ大統領が出身地の南部ジャララバードで支持者を集めていると非難し、自発的な退任を要求。一方、AP通信によるとバキエフは同日、地元通信社「24kg」に電子メールで送った声明で、辞任を拒否する考えを表明した。 キルギス臨時政府は9日、バキエフ大統領の弟で、大統領警護局長官を務めていたジャヌィベクを指名手配したことを明らかにした。ジャヌィベクは、首都ビシュケクで7日に起きた衝突の際、デモ隊への発砲を警察に命じたとされており、臨時政府は多数の死傷者が発生した責任を追及すると見られる。 ロイター通信によれば臨時政府を樹立した野党勢力の指導者の一人テケバエフは8日、バキエフ大統領の追放にロシアが役割を果たした」と述べた。ロシアは関与を否定しているが、他国に先駆けて臨時政府を事実上承認しており、議論を呼んでいる。 同通信によるとテケバエフは、大統領の追放を「ロシアが喜んでいる」と語り、このためアメリカ軍がアフガニスタンへの物資輸送拠点に使っているマナス空軍基地も「アメリカ軍の駐留期間が短くなる可能性が高い」と語った。同通信はまた、米露首脳会談のためプラハにいるロシア高官が「キルギスにはロシア連邦軍基地だけがあればよい。バキエフはアメリカ軍基地を排除する約束を守らなかった」と語ったと伝えた。 「臨時政府」首班のオトゥンバエヴァ元外相は8日、ロシアの民放ラジオ「モスクワのこだま」との電話インタビューで、プーチン首相が支援を約束したと感謝を表明し、協議のため同志のアルマズベク・アタンバエフ元首相をモスクワに派遣すると語った。 プーチン首相は7日の会見で「ロシアは今回の暴動には一切関係がない」と関与を否定している。
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