事態鎮静化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:33 UTC 版)
政治生命の危機に直面したシャルル・ド・ゴール大統領は、国民議会を解散し、あくる6月に総選挙をすることを約束した。解散にさきだつ5月27日、政府は労働組合との賃上げ交渉に寛大にこたえるかたちで事態の鎮静化をはかった。その結果、学生と労働組合はよりよい条件の「グルネル協定」を締結(すべての賃金の10%上乗せと最低賃金の35%引き上げ)、労働環境の改善をする。労働者はかならずしも満足しなかったが、この政府の軟化姿勢によって、段階的にデモは消滅へとむかうこととなった。 授業面でも、大学では「五月革命」の精神をとりいれ、学生の自発的なアイデアを議論させる授業が行われるようになり、革命は教育システムに内在化されるものとなった。 対外的には西ドイツや日本、イタリアなどの先進国の左翼学生たちに影響を与え、それらの先進国における学生運動をより激しいものにさせていった。やがて西ドイツやイタリアなどではフランス同様教育システムに組み込まれるようになる。五月革命は対案のない不満の爆発ではあったが、それまでの強権的な政権を軟化させることによって、大衆の力を権力に強く印象づける事件だった。
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