事態がパニックに発展した要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 18:09 UTC 版)
「豊川信用金庫事件」の記事における「事態がパニックに発展した要因」の解説
このように伝言ゲーム式にデマが形成され、事態がパニックに発展した理由として、次のような要因が存在した。 事件が発生した1973年当時、10月にはトイレットペーパー騒動が発生するなど、オイルショックによる不景気という社会不安が存在し、デマが流れやすい下地があった。 口コミで情報が伝わるうちに、情報が変容した。 事件の7年前の1966年、小坂井町の隣の豊橋市の金融機関が倒産し、出資者の手元に出資金がほとんど戻ってこないという大きな被害を出した事件が発生していた。デマの伝播経路の中のクリーニング業のHもこの7年前の倒産被害者であり、その目の前でJが大金をおろすよう指示したため、デマがリアリティを獲得した。またHは、善意で周囲の人間にデマを広めてしまった。 狭い地域社会の中で、別々の人から同じ情報を聞くことで信憑性があるものと思い込む「交差ネットワークによる二度聞き効果」の現象が発生した。 日本では、この事件より前の1971年に成立した預金保険法で、預金保険機構の裏付けのもと、100万円まで(当時)のペイオフ(預金保護)制度が施行されていたが、一般の認知度が十分ではなかった。少数の預金保護制度を知っていて渦中に預金をしに来た人も居たものの、大方の預金者はパニックに流されて預金引き出しに走った。
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