主要なマイク・パフォーマンス一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 07:46 UTC 版)
「ラッシャー木村」の記事における「主要なマイク・パフォーマンス一覧」の解説
ジャイアント馬場(通称・兄貴)に向かって。第1声は必ず(敵対時は)「馬場ーっ」、(義兄弟の契り以後は)「アニキーッ」と、必ずこれらいずれかで始まる。敵対初期のシングル戦を要求時「馬場、俺と勝負しろ!いつでもやってやる」 敵対初期のシングル戦で負けた後「馬場、勝ったとおもうなよコノヤロー」 「馬場、最近なんか元気だと思ったらコノヤロー。やっぱりな、お前は、ジャイアントコーン食べてるなコノヤロー」 「俺はな、昨日はな焼肉を俺は15人前食ったんだよ。だけど、だけど失敗したよ。だから今度やるときは20人前食って、必ずぶっ倒してやるぞ、テメエ。覚えておけよコノヤロー」 「馬場、馬場、お前な、ハワイでな、グアバジュース飲んで鍛えたかもしらんけどコノヤロー。俺だってコノヤロー、日本で、ポカリスエット飲んで鍛えたんだコノヤロー。そうはいかないぞコノヤロー。おぼえとけよ、コノヤロー、テメー」(毎年年末になるとハワイの別荘で過ごす馬場に対して) 馬場と輪島大士が初対決する武道館での試合で大熊に対して「俺は今日、馬場と輪島の試合を8ミリに撮ろうと思ってたんだよ。だけどな、急いでて忘れてきちゃったんだよ。それとな、俺は馬場のサインを自分の部屋に飾りたいから。サインをもらって来てくれないか。ちゃんと横に木村さんへって名前を入れてもらうように言っといてくれよ」 「馬場コノヤロテメー。まあ試合は別として、昨日な、大熊(大熊元司)に言っといたんだけど、今日は俺が、馬場に、新年のな、あいさつをするからな。(間をおいてから)あけましておめでとう」(新年のあいさつを宣言して場内が盛り上がる中、生真面目すぎるシンプルなあいさつに場内は笑いの渦に巻き込まれる)。そしてその後「今年こそはなぁ、馬場に勝とうと思って、俺はこの正月ずっと、餅食ってんだぞコノヤロー! 俺の肌を見ろよ。餅のおかげで、すっかりモチ肌になっちゃったよ!」と続けた。 「馬場、俺はな、今日は絶対な勝つつもりで来たんだよ。だけどな、負けちゃったよ。俺はな、今思いついたんだけどな、やっぱり俺はな馬場に貫禄負けしてるな。今度な、今度お前とやるときはな、貫禄負けしないようにな、俺も明日からお前の真似してな、葉巻を吸うからなコノヤロー」(場内が盛り上がる中、引き上げようとする馬場に対し)「馬場、馬場。もうちょっと我慢して聞いてくれ。あのな、俺はな、これだけ馬場と試合するとな、とてもな、他人とは思えないんだよ。だからな、だから一回でいいからな、今度な、お前のことをな、兄貴って呼ばせてくれ! いいなコノヤロー」(馬場も思わず表情が緩む。この時が義兄弟の契りを交わすきっかけとなる) 「この前の武道館で『お前のこと、兄貴って呼んでもいいか』って言ったよな? 俺は一度でいいから、馬場とタッグを組んで『兄貴ありがとう』って言ってみたいんだよ! だから最強タッグでは…俺の一生の頼みなんだよ!! 今度の最強タッグでは『兄弟コンビ』を組んでくれよ。俺は馬場の懐に飛び込んで、もっともっと馬場を研究したいんだよ! 俺のこの健気な気持ちを分かってくれよ! いいか、もう逃げても無駄だぞコノヤロー!」(上記から暫く後のテレビマッチ。同じ日の数試合後、どこからともなく木村がリング上に現れ「“俺と馬場のタッグをお客さんがどう思うかを聞いて来い”と(馬場に)言われたんだよ」と発言〔「全日本移籍 - ノア」の項参照〕。テレビ解説の山田隆は「タッグを組みたいなら手順を踏まないと…」と実況の倉持隆夫ともども唖然としたが、場内は「組め」コールでタッグ結成を後押し。木村は「それじゃあ、俺と馬場のタッグが実現するよう、皆さんも応援してください」と言うと、上機嫌で去っていった) 「兄貴!明けましておめでとう!今年も、可愛がってくれよ!」 「兄貴!明けましておめでとう!今年も、タッグを組んでくれてありがとう!」 加山雄三の「君といつまでも」の台詞に乗せて「幸せだなぁ。俺は兄貴といるときが一番幸せなんだ。俺は死ぬまで兄貴を離さないぞ、いいだろ?」(馬場の骨折からの復帰戦において。このマイクの後、木村は馬場に抱擁するパフォーマンスも見せた) 渕正信の独身ネタ。ラッシャーのマイクでネタにされて以降、渕の独身ネタは広く知られるようになり、今に至る。「(当時結婚して間もない田上明を引き合いに出して)渕、田上のイキイキしたファイト見たか? おい渕、なぜか分かるか? 結婚したからだよコノヤロー! お前もそろそろ、結婚しろコノヤロー! いいか? 仲人がいなかったら、俺がアニキに頼んでやるからな」 「(秋田での試合において)渕、秋田美人はどうだ? 秋田美人はいいぞ、渕! 秋田美人(を嫁に)もらえよコノヤロー!」 「渕、オマエの嫁さんにな、俺の親戚を紹介しようとしたんだよ。だけどな、やっぱりやめたんだよ。何故かって言うとな、俺はオマエと親戚付き合いしたくないんだよ」。思わず渕も「俺だってしたくねえよ」 「渕!今日は、俺と、百田と、アンドレでタッグを組んだけど、独身はアンドレだけなんだよ。だから渕、アンドレに、嫁さんを世話してやってくれよ…。でも、よく考えたら、渕にこんなお願いをした、俺が悪かったよ」 「渕、オマエの嫁さんをこの会場の中から探してやる。(リングサイドにいた80歳過ぎのおばあちゃんに)お姉ちゃん、渕の嫁さんになってくれないか」 「おい、俺は最近俳句に凝ってるんだよ。今日は、最終戦だから、最後に一句詠ませてくれ。"永源ちゃん あんたはいつも いい男" "大熊ちゃん あんたもよく見りゃ いい男" "渕選手 お前は早く 嫁もらえ"」 「正信や 今年もダメか かわいそう」 「正信や 来年こそは パパになれ」 「(ラッシャーが渕に)ところでお前、カラオケ好きか?ベ、ベサメ・ムーチョって歌知ってるだろ。この歌は女性を口説く時に歌う歌なんだよ。だから今度カラオケをやる時は必ずこの歌を歌いなさい。ここまできたら、これはいいと思うものは何でもやってみなさい!」 「(ラッシャーのタイツにマイクを入れた渕に)渕、オマエな、いい加減にしろよ。こんなタイツの中にマイクを入れて、マイクが病気になったらどうすんだコノヤロー!その時はな、オマエいいか、病院連れてけよ!」 「おい、最近、俺のオナラが全然臭くないんだよ」 1987年の世界最強タッグ決定リーグ戦、公式戦対戦前のタッグマッチでタイガーマスクに「公式戦ではドロップキック9連発するからなコノヤロー!」(公式戦では9連発どころか1発も放っていない) 1987年5月1日のジョン・テンタのデビュー戦(馬場&テンタVS木村&鶴見)にて「琴天山(テンタの大相撲時代の四股名)!よく馬場に鍛えてもらえ、もっと。もっと馬場に鍛えてもらえコノヤロー!」 1990年、天龍源一郎との抗争中のマイクでは「こうなったら俺は、天龍といつかシングルでやってやるぞ!」とシングル戦に意欲を見せたが、直後に天龍はSWSに移籍。本来天龍とのシングル戦が予定されていた大会ではファミリー軍団vs悪役商会のカードで出場し、試合後のマイクでは永源に「永源!お前、目は大丈夫か?たとえな老眼になっても、決してメガネスーパーで買うんじゃないぞ」と忠告。会場は大歓声に包まれた。 日本が米不足に陥った1993年限定ネタ「永源! ところで日本の美味しいお米はどこにいったんでしょう…?」 「泉田! お前は太っているんだから、パンを食べなさい」 だんご三兄弟と銘打った悪役商会に対し「キマラ! お前、団子食ったことあるのか? 今度国に帰るときに、お土産に団子を買って帰りなさい」 「永源! お前は最近、ランバダで身体を鍛えてるらしいけど、俺も、今度はな、ジャズダンスやって鍛えるから覚悟しとけよコノヤロー」 泉田に対し「泉田!! お前最近なっちゅーのに凝ってるみたいじゃないか。お客さんにも見せてやれ! せーの、なっちゅーの!!」と発言していた。ちなみに「なっちゅーの」とは当時流行していたパイレーツの「だっちゅーの」のことである。 全日本の常連外国人選手だったジョー・ディートンに対し「ディートン、お前はよく全日マットに上がるけど、もしかして俺に会いに来てるのか? そんなに俺が好きなのか? それとも俺が好きじゃないか、好きか嫌いかハッキリしなさい」。ディートンから「キムラサン、アイシテマス!」と返答された。以降、ディートンもマイク・パフォーマンスをする試合多くなり、大阪府立体育会館大会では「オオサカ!アリガトウゴザイマシタ!」をマイクを持って観客に挨拶した。 観客に呼びかけるシリーズ。時候に合わせた内容の場合が多い。「山菜取りに絶好の季節になってきました。皆さん、山奥もいいけど、帰り道が分からなくならないように、気をつけてください。それではごきげんよう」 「暖かくなってサイクリングにはいい季節ですね。私も昨日誰かに自転車に轢かれました。でもその人は、謝るどころか笑いながら去ってしまいました。皆さん、悪いことをしたらちゃんと謝りましょう」 「ブッチャー、今日は試合に負けたけど、俺には、今夜はな、ススキノが待ってんだバカヤロー!」 黒人のブッチャー&キマラと対戦後、「俺はな、一生懸命日光浴して体を焼いてきたんだけど、オマエらとやったんじゃ何の意味もねえじゃねえか」 ビートたけしと明石家さんまが司会を務める『たけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人伝説』に出演した際「さんま! 家が売れたらしいじゃないか。安心してな、ゴルフばっかりやってちゃダメだぞ!」 「たけし! 俺も映画に出してくれ! たまにはな、たまには、家へ帰って、家庭サービスしなさい!」 去り際「たけし! さんま! お達者で!」 会場には読売ジャイアンツの選手が観戦することが多く、その際には木村も選手に対してマイクでエールを送った。「巨人軍諸君!来年こそは、鍛えて、優勝を果たしてくれよ!」 不振に苦しんでいた原辰徳(当時選手)に「耐えろ原!燃えろ!辰徳!」とエールを送った。 『全日本プロレス中継』にゲスト解説で出演したウッチャンナンチャンに「ウッチャン、こないだなFOCUS見たぞ。なかなかやるじゃないか!ナンチャンもFOCUSに出るように頑張れよ」 会場に偶然見に来ていた志村けんを発見し「やっぱり志村けんさんじゃないですか」と発言していた。 引退コメント「私は体調を悪くしてリングを離れて、カムバックのためにリハビリしていましたが、思うようにいかず、これ以上やると会社やファンの皆様に非常に迷惑がかかるので、引退を決意しました。本当に長い間、ご声援有り難うございました。ごきげんよう、さようなら」
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