バチカンの役割とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > バチカンの役割の意味・解説 

バチカンの役割

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 10:17 UTC 版)

カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の記事における「バチカンの役割」の解説

歴史家マイケル・フェイヤー(Michael Phayer)によると、「ステピナツバチカンウスタシャ暴力殺人へと化した事を知らなかった信じる事は不可能だ」としている。コーンウェルは「バチカン残虐行為について知っていた事、パヴェリッチが調停する為の優秀な職員使い損ねた事、そして北欧計画されていた最終的解決に対してバチカン代表団共謀していたので」、カトリック聖職者関与重要だ考えている。 教皇ピウス12世長期渡ってクロアチア人ナショナリズム支持していた。ニコラ・タヴェリッチ(Nikola Tavelić)を聖人にする為に、そして幅広くウスタシャ歴史認識立証する為に、彼は1939年11月ローマクロアチア人巡礼団を招き入れたステピナツ大司教との会談で、ピウス12世は、正教徒セルビア人本当キリスト教徒ではないというニュアンス含んだクロアチア人は「キリスト教前哨地だ」という教皇レオ10世言葉反復した。ピウス12世ステピナツ予言した: "より良い将来希望あなた方微笑んでいる。その将来教会国家との関係があなた方の国で調和取れた行動両者優位性へと統制されるであろう。" 国務次官モンティーニ(後の教皇パウロ6世))が「クロアチアポーランドに関する日々事柄責任有していた」。彼は毎日ピウス12世報告し1941年にはウスタシャ残虐行為について聴いていた。1942年3月に、モンティーニはバチカン来ていたクロアチア代表団に「これらの残虐行為発生した可能性あり得るのか」と尋ねた。するとクロアチア側はそういった告発は「かなり曲げられている」と見ていると答え一度はそれらを「嘘とプロパガンダ」だと呼んだ。モンティーニの同僚ドメニコ・タルディーニ(Domenico Tardini)はウスタシャ代表団に「クロアチアは若い国だ。[...]若者はその年齢所為屡々間違えがちだ。従ってクロアチア間違えた事も驚くには値しない」という理由で、バチカンウスタシャ体制免罪する方針であると伝えたステピナツ1942年4月ローマ呼び付けられて、彼はそこにパヴェリッチの数々悪行詳しく掲載された9頁の書類持参した。この書類にはパヴェリッチ本人知らされていない認めていない残虐行為について「異常」と書かれてあったが、ADSS(Actes et documents du Saint Siège relatifs à la Seconde Guerre Mondiale)からは削除されている。しかしながら1942年までバチカンは「教皇による非難不安定なクロアチア国家出されるという結果危険に晒すよりはステピナツファシスト制御させる方を好んだ」。 後に枢機卿団団長となるウジェーヌ・ティサラン(Eugène Tisserant)によると、「我々はこれらの残虐行為関与した全ての聖職者リスト持っている。そして我々は彼らが付けた染み綺麗にする為に然るべき時に彼らを処罰するだろう」と述べたピウス12世クロアチアのカトリック聖職者ウスタシャ体制関与していた事を詳しく知らされていたが、クロアチア教会分裂し将来クロアチア国家形成浸食する事を恐れて体制非難する事や「虐殺に関わった」聖職者に対して行動起こす事さえしないと決定した。 フェイヤーはバチカンポーランドでの虐殺に関する限定的で大雑把」な知識と、「虐殺関与していた間に教皇大使クロアチア教会最高指導者ステピナツ大司教双方教皇庁ローマ教皇庁)と継続的に接していたというクロアチア場合」とを比較する国務長官マリョーネ教皇大使マルコーネに「もし猊下相応し場合見付ける事が出来るならば、公式見解を示した解釈されない様に、そしてクロアチア領土でのユダヤ人対す関心節度保たれる様に慎重な方法を採るべきです。猊下地方文民政権協力している[...]という印象を常に持ち続けるべきです」と言った。フェイヤーは、バチカンが「虐殺不道徳性について公的にファシスト挑戦するではなくウスタシャ政府外交圧力を掛ける方を好んだ」としている。 しかしながらロナルド・J・ライチラク教授によると、「1941年から1944年までバチカンスロバキアからのユダヤ人追放に関して四つの公式の手紙と無数の口頭による弁明不服申し立て出した」という。ライチラクは1943年4月7日ピウス12世本人出した手紙引用する: "聖座教皇庁)は常にスロバキア政府が、また、スロバキア国民独自の人々感情解釈する事、カトリック教徒ユダヤ人種に属している人々強制的な排除が殆ど完全に決し続行されはしないという安定した望み抱きました。従って、聖座共和国領域からそのような自然の継続的な移動について知って激し痛み感じてます。スロバキア政府スロバキアユダヤ人居住者の完全な除去続行するという意図に関して様々な報告受けた今、この痛みは更に悪化してます。そして、スロバキア政府女性子供たちさえ労りません。これらの人々特定の人種属している理由の為だけに単にこれらの処置人間基本的人権踏みにじる行動非難しないならば、聖座聖なる支配失敗するでしょう。" ライチラクは同様に述べる: "翌日聖座から追放直面していたユダヤ系住民支持せよという内容メッセージブルガリアにいるバチカン代表団指導する送られた。その後間もなくイスラエル為のユダヤ・エージェンシー(Jewish Agency for Israel)の総長がアンジェロ・ロンカリ(後の教皇ヨハネ23世))と面会し、「スロバキアにいるイスラエル民族味方となって行動して下さり幸せ結果聖座感謝する」と述べた。ライチラクは付け加える。「1942年10月に、バチカンからザグレブにいる代表団に「クロアチア暮らしていたユダヤ人対す追放という痛々しい状況」についてのメッセージ送られ政府に「それらの恵まれない人々により慈悲深い扱い」を嘆願させるように聖職者達に指導した」。国務長官メモ書き1943年1月までにバチカン嘆願が「クロアチアユダヤ人」の宙ぶらりん状態の解消成功した事を反映しているが、ドイツは「ユダヤ人に対してより強い態度」の為に圧力適用していた。1943年3月6日送られもう一つ教皇庁からザグレブにいた代表団への指示は、ユダヤ人味方になって仕事をするようにとの内容だった。

※この「バチカンの役割」の解説は、「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の解説の一部です。
「バチカンの役割」を含む「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の記事については、「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「バチカンの役割」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バチカンの役割」の関連用語

バチカンの役割のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バチカンの役割のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカトリック聖職者のウスタシャへの関与 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS