ステピナツ大司教
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「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の記事における「ステピナツ大司教」の解説
ステピナツ大司教は1941年11月にクロアチアの司教による教会会議を招集した。教会会議はパヴェリッチにユダヤ人を「クロアチアにドイツ軍が駐留していたことを考慮して、可能な限り人間的に」扱うように要請した。イスラエルの歴史家メナヒェン・シェラは教会会議が改宗したユダヤ人にしか関心を払っていなかったと述べているが、バチカンは「ユダヤ系市民」の為に行われたとしてマルコーネにこの教会会議に対する賞賛の反応を返した。教皇ピウス12世は個人的には教会会議を「勇敢で果断であった」と賞賛した。 シェラは次のように書いている。 1941年11月にザグレブで開かれた司教協議会は、同年夏に実行されたセルビア人に対する強制改宗を非難する為に準備されたのではなく、セルビア人やユダヤ人を迫害、殺害した事のみを非難した。ザグレブ大司教ステピナツがクロアチアのユダヤ人、セルビア人、その他の民族を殺害した事(彼らの殆どはその頃までに殺害されていた)に対して公的に見解を表明したのは1943年半ば以降だった。初期の段階では、クロアチアでの虐殺はローマではバチカン国務長官のドメニコ・タルディーニ(Domenico Tardini)大司教によって「新体制の歯が生える頃の不調」であると説明された。 しかしながら、学者ロナルド・J・ライチラクによると、「クロアチアの大司教ステピナツはローマからの指示を受けた後に、政府による野蛮な行動を非難した。1942年10月24日に彼が行った演説はナチスの理論を拒否した多くの演説の中で典型的である。 全ての人々と全ての人種は区別無しに神の子である。ジプシー、黒人、ヨーロッパ人、或いはアーリア人には平等の権利がある。この理由で、カトリック教会は常に階級、人種、ナショナリティの理論に基付いた全ての非正義や全ての暴力を非難し続けて来た。劣等人種であるとしてジプシーやユダヤ人を迫害する事は容認出来ない。 ライチラクは続ける。AP通信は「1942年までにステピナツはセルビア人、ユダヤ人、ジプシー、そしてクロアチア人に対する数万もの虐殺政策を非難して、ナチスの傀儡政権の厳しい批評家になっていた」。それによって彼はクロアチアの独裁者アンテ・パヴェリッチに対する憎しみを膨らませていった(パヴェリッチがローマを外遊した際に、彼が求めていた外交団との会談を拒否されたので激怒した)。1946年10月13日には、戦後の共産主義政権がステピナツ大司教に対して犯罪事例をでっち上げようとした時に、アメリカのユダヤ教指導者ルイス・ブレイヤーは述べた カトリック教会のこの偉大な人物はナチスの協力者として告発されて来た。我々ユダヤ人はそれを否定する。最も危険だった正にその瞬間に、彼はナチスの暴政に対してヨーロッパで立ち上がった僅かな人々の一人である。彼は人種法に対して恐れを成さずに公然と反対した。教皇ピウス12世聖下に次いで、彼はヨーロッパで迫害されたユダヤ人の最も偉大な擁護者だった。
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