ステピナツ大司教とは? わかりやすく解説

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ステピナツ大司教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 10:17 UTC 版)

カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の記事における「ステピナツ大司教」の解説

ステピナツ大司教は1941年11月クロアチア司教による教会会議招集した教会会議はパヴェリッチにユダヤ人を「クロアチアドイツ軍駐留していたことを考慮して可能な限り人間的に」扱うように要請したイスラエルの歴史家メナヒェン・シェラは教会会議改宗したユダヤ人にしか関心払っていなかったと述べているが、バチカンは「ユダヤ系市民」の為に行われたとしてマルコーネにこの教会会議対す賞賛反応返した教皇ピウス12世個人的に教会会議を「勇敢で果断であった」と賞賛した。 シェラ次のように書いている。 1941年11月ザグレブ開かれた司教協議会は、同年夏に実行されセルビア人対す強制改宗非難する為に準備されたのではなくセルビア人ユダヤ人迫害殺害した事のみを非難したザグレブ大司教ステピナツクロアチアユダヤ人セルビア人その他の民族殺害した事(彼らの殆どはその頃までに殺害されていた)に対して公的に見解表明したのは1943年半ば以降だった。初期段階では、クロアチアでの虐殺ローマでバチカン国務長官のドメニコ・タルディーニ(Domenico Tardini)大司教によって「新体制の歯が生える頃の不調」であると説明された。 しかしながら学者ロナルド・J・ライチラクによると、「クロアチア大司教ステピナツローマからの指示受けた後に、政府による野蛮な行動非難した1942年10月24日に彼が行った演説ナチス理論拒否した多く演説の中で典型的である。 全ての人々全ての人種区別無し神の子である。ジプシー黒人ヨーロッパ人或いはアーリア人には平等の権利がある。この理由で、カトリック教会は常に階級人種、ナショナリティの理論に基付いた全ての正義全ての暴力非難し続けて来た。劣等人種であるとしてジプシーユダヤ人迫害する事は容認出来ない。 ライチラクは続ける。AP通信は「1942年までステピナツセルビア人ユダヤ人ジプシー、そしてクロアチア人対す数万もの虐殺政策非難してナチス傀儡政権厳し批評家になっていた」。それによって彼はクロアチア独裁者アンテ・パヴェリッチ対す憎しみ膨らませていった(パヴェリッチがローマ外遊した際に、彼が求めていた外交団との会談拒否されたので激怒した)。1946年10月13日には、戦後共産主義政権がステピナツ大司教に対して犯罪事例でっち上げようとした時にアメリカユダヤ教指導者ルイス・ブレイヤーは述べた カトリック教会のこの偉大な人物ナチス協力者として告発されて来た。我々ユダヤ人はそれを否定する。最も危険だった正にその瞬間に、彼はナチス暴政に対してヨーロッパで立ち上がった僅かな人々一人である。彼は人種に対して恐れ成さず公然と反対した。教皇ピウス12世聖下次いで、彼はヨーロッパで迫害されユダヤ人の最も偉大な擁護者だった。

※この「ステピナツ大司教」の解説は、「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の解説の一部です。
「ステピナツ大司教」を含む「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の記事については、「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の概要を参照ください。

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